崎津集落とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 崎津集落の意味・解説 

崎津集落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 00:05 UTC 版)

﨑津集落(さきつしゅうらく)は、熊本県天草市河浦町﨑津一帯の総称で、羊角湾に面した潜伏キリシタンの里として知られる。


注釈

  1. ^ 受賞対象名 - 景観づくり [﨑津・今富の文化的景観整備]] - GOOD DESIGN AWARD
  2. ^ 天草市河浦町の崎津・今富地区がグッドデザイン賞「ベスト100」 文化的景観が暮らしと調和 10年以上のまちづくり実る|熊本日日新聞社”. 熊本日日新聞社 (2022年11月18日). 2022年12月17日閲覧。
  3. ^ a b “長崎、天草の「潜伏キリシタン」が世界文化遺産に決定 22件目”. 産経新聞. (2018年6月30日). https://www.sankei.com/article/20180630-KZXLQSC53BNLTO34UH3O2ZEDXE/ 2018年6月30日閲覧。 
  4. ^ a b “長崎と天草地方の「潜伏キリシタン」世界遺産に”. 読売新聞. (2018年6月30日). https://web.archive.org/web/20180630133218/http://www.yomiuri.co.jp/culture/20180630-OYT1T50066.html 2018年6月30日閲覧。 
  5. ^ 松田毅一・川崎桃太訳『フロイス日本史』9、中央公論社1979年。第20章(第1部81章)307〜325ページ。
  6. ^ 天草の民俗と伝承の会『あまくさの民俗と伝承』第5号、1982年10月15日発行、「崎津教会 神父ノート 竹柴明治」63〜75ページ。著者の竹柴明治は読売新聞社天草通信部記者の故・武内新吉氏のペンネーム。
  7. ^ 片岡弥吉「日本キリシタン殉教史」時事通信社1979年12月20日発行。552〜553ページ。
  8. ^ a b c 世界遺産暫定一覧表記載資産 準備状況報告書 2009 (PDF) - 文化庁
  9. ^ 「長崎の教会群」推薦取り下げへ 世界文化遺産 朝日新聞2016年2月5日
  10. ^ 三宗教巡拝で御朱印 キリスト教会で異例 崎津 朝日新聞 2018年7月30日
  11. ^ a b 毎週金曜、世界遺産の地で感謝の鐘 熊本日日新聞 2020年5月29日
  12. ^ 「命の鐘アクション~鐘に願いを込めて~」を全国の神社、寺院、教会にて一斉に開催いたします プレスリリースゼロ 2020年5月23日
  13. ^ 西日本新聞「隠れキリシタンの名残?杵2本交差天草の「X型」正月飾り」2017年1月4日付朝刊。天草テレビHP「秘められた意味 聖アンデレ十字だった 潜伏キリシタンの里に伝わる正月の臼飾り」また川嶋家の古鏡や地蔵墓碑など潜伏キリシタン資料は上天草市の「天草四郎ミュージアム」に展示、収蔵されている。
  1. ^ 本来は「兄弟愛」(友愛)を意味し、広義では信者の互助組織。日本では「信心会」「慈悲の組」「拝み講」などと訳され、集落単位の下部組織はコンパンヤポルトガル語版(小組)という。フラタニティとソロリティも参照
  2. ^ 江戸時代中期には天草を代表する七浦の一つにまで発展した
  3. ^ 﨑津同様に隠れキリシタンが多かった五島列島のキビナゴ漁法は﨑津から伝えられたとされる
  4. ^ 朝鮮琉球漂流船の保護も役目で、水夫の亡骸は﨑津集落対岸の向江地区にある程合墓地(唐人墓)に葬った
  5. ^ 貝を神聖視したのは十二使徒聖ヤコブホタテ貝伝説に由来するとの説や、「日本文化が古来より、アワビ貝を信仰の対象としていた素地があり、キリシタンの信仰具に転用されたのではないか。」(大浦天主堂キリシタン博物館・内島美奈子研究課長=西日本新聞「貝殻に見たマリア様 禁教時代の信心具伝わる」2018年11月14日朝刊・15日夕刊) また、殉教者の遺体が海に投げ捨てられていたので海からとれるアワビ貝の文様を見出し、聖人や殉教者と重ね、信仰の対象とされていたという説などがある。それを裏付けるかのように五島市福江島の堂崎教会に展示してあるアワビ貝には「三ヂワン様」(サンジュアン Sant Joan, Saint John)の付け札があり、片岡弥吉「日本キリシタン殉教史」時事通信社、1980年発行、292~295ページに、平戸市中江の島に伝わる殉教者のサン・ジュワン(坂本左衛門)は「死体は袋につめられて海に捨てられた。」とあることや、他に「オタチバンナオンヤクニン様」(不明瞭)の付け札がある。また、五島市福江島の個人所蔵のアワビ貝4点には、「サンタベリヤサマ」2点(サンタマリア?)、「オンマレンシヨサマ」(誰なのか不明)「ゴヒチニンサマ」(誰なのか不明)の付け札があり、祈りを捧げたようだ。天草テレビHP「潜伏キリシタンの信仰具 アワビ貝に見えたものとは ?!」
  6. ^ 江戸時代後期には天草陶石の積み出し港としての役割もあった
  7. ^ 「大江の文化的景観」は重要文化的景観未選定のため、後に候補から除外された
  8. ^ 審査経過の不透明さから2016年より諮問機関の内部審議に当該推薦国の関係者が臨席できるようになった
  9. ^ 向かい合わせ(背中合わせではない)の住民同士が互いに庭先の敷地を提供して作られたトウヤは「トウトウヤ(等々家)」と呼ぶ
  10. ^ 同じ天草の牛深にもカケに類似した「ナダナ」があったが現在は残されていない
  11. ^ 綴りはHalboutで、フランス語ではhを発音しないためアルブがより近い発音になる
  12. ^ キリシタン文化を象徴するが、江戸時代から続く漁村の景観にあって昭和の建築物は「偶然景観の中にある存在」という解釈
  13. ^ この他、屠殺仏壇に供えた後に食すという事件があったとも伝わる。これは仏教における肉食という食のタブーを犯すことでキリシタンであることを表明したものである
  14. ^ 岩陰遺跡から発展した自然崇拝と、イエスが「岩の上に私の教会を建てる」(マタイによる福音書16:18)と言った故事が習合したものとの説がある


「崎津集落」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「崎津集落」の関連用語

崎津集落のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



崎津集落のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの崎津集落 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS