りゅうきゅう‐しょとう〔リウキウシヨタウ〕【琉球諸島】
琉球諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 09:46 UTC 版)
琉球諸島(りゅうきゅうしょとう、琉球語: Ruucuu-reptoo[1])は、南西諸島の一部の範囲であり、定義は以下に二分される.
- ^ 半田一郎『琉球語辞典』446頁 大学書林 ISBN 4-475-00144-7
- ^ a b 第73回地名等の統一に関する連絡協議会を開催 (PDF) p. 215
- ^ 新村出/編 『広辞苑 第6版』 岩波書店、2008年、ISBN 978-4-00-080121-8。
- ^ 地理用語研究会編 『地理用語集』 山川出版社、2007年、ISBN 978-4634-054-165。
- ^ 琉球大学21世紀COEプログラム編集委員会編 『美ら島の自然史-サンゴ礁島嶼系の生物多様性』 東海大学出版会、2006年、ISBN 4-486-01731-5。
- ^ 初島住彦・天野鉄夫 『増補訂正 琉球植物目録』 沖縄生物学会、1994年、ISBN 4-900804-02-9。ただし、最北は奄美群島としている
- ^ 島袋敬一編著 『琉球列島維管束植物集覧【改訂版】』 九州大学出版会、1997年、ISBN 4-87378-522-7。
- ^ 『渡瀬線』 - コトバンク
琉球諸島(りゅうきゅうしょとう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:40 UTC 版)
「南西諸島」の記事における「琉球諸島(りゅうきゅうしょとう)」の解説
南西諸島と同じく行政名であり、一般にはあまり使用されていない。江戸時代中期の新井白石が著した『南島志』を初め、明治時代でも琉球諸島は奄美群島以南の地域を指していた。また沖縄における戦後の米軍統治期でも、奄美群島が日本復帰するまで、米軍は奄美群島以南を琉球諸島と呼称していたと思われる。そして奄美返還後、琉球諸島の範囲は本土復帰していなかった沖縄県全域を示すようになった。しかし、「地名等の統一に関する連絡協議会」は、大東諸島以外の沖縄県全域を範囲として合意した。また、琉球列島のうち沖縄県に属する島嶼群、すなわち沖縄諸島と先島諸島を範囲とし、大東・尖閣諸島を含まないとする文献もある。国土地理院の前身の一つである地理調査所は、1958年(昭和33年)以降に発行した陸図で使用してから、国土地理院刊行の地図にこの名称を用いている。
※この「琉球諸島(りゅうきゅうしょとう)」の解説は、「南西諸島」の解説の一部です。
「琉球諸島(りゅうきゅうしょとう)」を含む「南西諸島」の記事については、「南西諸島」の概要を参照ください。
琉球諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 03:14 UTC 版)
琉球独立運動 八重山諸島の自治組織(八重山自治会) <18>沖縄独立論 - 読売新聞沖縄県版連載 『沖縄から new』 (2006年) 映画 『さよならニッポン! GOODBYE JAPAN』 (製作・ぶんか社・MITグループ、配給・ ギャガ・コミュニケーションズ・シネカノン 1995年)監督・堤幸彦、脚本・加藤学生、出演・緒形拳、他。沖縄にある日本最南端の島・赤尾根古島(あかおねこじま)は、人口700人。「赤尾根古国」として独立を宣言した村の大騒動を描いた、政治喜劇。ロケ地は宮古島。 大山朝常『沖縄独立宣言 ヤマトは帰るべき「祖国」ではなかった』、現代書林、1997年4月。ISBN 4-87620-935-9 小熊英二『〈日本人〉の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮植民地支配から復帰運動まで』、新曜社、1998年7月。ISBN 4-7885-0648-3 竹中労『琉球共和国 汝、花を武器とせよ!』(『ちくま文庫』)、筑摩書房、2002年6月。ISBN 4-480-03712-8 比嘉康文『「沖縄独立」の系譜 琉球国を夢見た6人』、琉球新報社、2004年6月。ISBN 4-89742-059-8 琉球自治州の会『琉球自治州の構想』、那覇出版社、2005年10月 小説「沖縄独立す―北東アジアに軍事危機が迫る」柘植久慶著。保守系、革新系がそれぞれ政権を握った場合の2本立てシミュレーション。
※この「琉球諸島」の解説は、「都道府県独立国家論」の解説の一部です。
「琉球諸島」を含む「都道府県独立国家論」の記事については、「都道府県独立国家論」の概要を参照ください。
「琉球諸島」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
- 琉球諸島のページへのリンク