琉球王国とは? わかりやすく解説

琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/02 07:45 UTC 版)

琉球王国(りゅうきゅうおうこく、沖縄語: 琉球王国ルーチューヲークク)は、1429年宣徳4年・正長2年・永享元年)から1879年光緒4年・明治12年)の450年間、琉球諸島を中心に存在した国家。正式な国号は琉球國(りゅうきゅうこく、沖縄方言: ルーチュークク)であり、「琉球王国」は琉球政府唯一の公選行政主席、ならびに日本復帰後最初の沖縄県知事であった屋良朝苗が本土復帰運動と観光誘致のために普及させた俗称である[2][3]




「琉球王国」の続きの解説一覧

琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 06:22 UTC 版)

冊封」の記事における「琉球王国」の解説

琉球の朝貢と冊封の歴史」も参照 琉球中山察度王明に朝貢次いで南山王、北山王も朝貢し、朝貢貿易が始まる。

※この「琉球王国」の解説は、「冊封」の解説の一部です。
「琉球王国」を含む「冊封」の記事については、「冊封」の概要を参照ください。


琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:31 UTC 版)

琉球貿易」の記事における「琉球王国」の解説

明への朝貢使による貿易時期によって異なるものの、1年もしくは2年1回時によっては年に2回派遣行っている。日本に対して2年もしくは3年1度使者派遣していたが、応仁の乱による日本国内政情不安により次第に堺や博多商人の方から琉球訪れようになったまた、15世紀半ばから周防国大内氏が対明貿易乗り出し当時東南アジア貿易をしていた琉球王国ともその産物求めて使節派遣し交易行っている。交易ルート周防国周防灘)から東九州沖を南下南九州東岸日向大隅)を経て南島に至るものであった日本明に対す献上品中には東南アジアなどの南海諸国採れる蘇木胡椒あるように、東南アジアにも使者派遣していたと考えられており、特にマラッカ王国シャムがその対象であった。 明との交易においては皇帝への朝貢品として琉球取れる馬や硫黄日本産刀剣東南アジア産の胡椒蘇木象牙などが進上され、これに対して明国皇帝からの頒賜品名目で多額金品与えられたほか、琉球使臣随伴者が持参した商品を明側が買い上げる形であり、事実上官営貿易であったこのため琉球では、琉球からの品物載せて運搬する船と、明の沿岸付近でこれを載せ替える接貢船2種類用意していた。また、明か入手した銅銭はその需要が高い日本との貿易用いられた。そのほか、明や日本からは琉球内で必要とされる生活必需品輸入された。 特に朝貢貿易相手である明・清遣わされる船舶進貢船呼ばれた

※この「琉球王国」の解説は、「琉球貿易」の解説の一部です。
「琉球王国」を含む「琉球貿易」の記事については、「琉球貿易」の概要を参照ください。


琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)

文禄・慶長の役」の記事における「琉球王国」の解説

天正10年1582年6月7日中国大返し先立って毛利和睦したため、配下武将亀井茲矩約束していた出雲の国での加増不可となったので別の所を所望するようにと秀吉述べたところ、茲矩は光秀討伐後は国内は皆閣下靡くであろうから日本において望むべき所はないので「願わくば琉球を賜らん」と返答した秀吉はこれを喜び金扇の表に「亀井琉球守殿と書き裏に署名してこれを与えた以後、彼は柴田勝家滅亡の頃(天正11年)や小牧長久手の頃(天正12年)の書状では亀井琉球守として署名していた。文禄元年、茲矩は琉球国賜ったわけであるから今度は「琉球伐使」朱印欲しいと願い出て秀吉やむを得ずこれを許可した。茲矩は出征し活躍したが、戦闘中大事な金扇落としてしまい、これは後に李舜臣の手渡った出征後は僚友となった島津氏慮ってか、茲矩は琉球守をではなく中国の地名の「台州守」を名乗るようになった。 琉球王国は明の冊封国であったものの、当時はまだ独立保っていた。九州征伐後、秀吉島津氏を介して琉球服属入貢要求行い天正16年1588年以後複数要求繰り返した琉球は、秀吉の征明軍加勢せよとの命令公に拒否したが、実際に日本軍への補給協力し島津義久琉球王名護屋城築城遠征加勢はしないいいから代わりに金銀米穀を送るように命じた。しかし他方では、同時に明の臣下でもあった琉球は、日本側には秘密裏に、事前に中城王子明に派遣して秀吉征服計画通報しており、明からも出兵に対して先導役を命じられていた。 詳細は「琉球王国」および「琉球侵攻」を参照

※この「琉球王国」の解説は、「文禄・慶長の役」の解説の一部です。
「琉球王国」を含む「文禄・慶長の役」の記事については、「文禄・慶長の役」の概要を参照ください。


琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/06 08:37 UTC 版)

バーナード・ジャン・ベッテルハイム」の記事における「琉球王国」の解説

1846年4月30日香港から琉球王国に到着し那覇護国寺拠点8年滞在した1848年12月8日生まれた2番目の娘は、記録沖縄本島生まれた最初のヨーロッパ人と言われている。 ベッテルハイム琉球伝道は、難破した英国軍人に温かく接した琉球人への感謝と愛からだとされる。しかし、彼は琉球に住む人々から排斥された。これは琉球支配者薩摩江戸幕府方針によると指摘されている。 到着当時、琉球王国ではキリスト教禁教であった。そこで、琉球側はベッテルハイム退去要請行った。それはベッテルハイム数年前1844年)に来琉したフランス人宣教師の、フランス海軍武力背景とした布教への対応に苦慮した経験からである。しかしベッテルハイムは、自分にもフランス人宣教師同様の権利があると主張して上陸した最初1年半琉球側のある程度黙認から比較自由に行動することができたが、布教通商さらなる自由化要求しイギリス本国加えて軍事的圧力続けた1847年10月国王尚育王国葬参加しようとしたベッテルハイム夫妻フランス人宣教師首里入口取り囲まれ殴打された。この事件により琉球側は宣教師達の自由行動不安視し、その後厳しく監視して行動にも制限加えようになったいっぽう医療活動での評価高かった仲地紀仁種痘伝授したという)。また聖書琉球語その内当時琉球王国の共通語とされていた沖縄方言)に翻訳し、それを配布した。『琉球語文典階梯』という琉球文典に関する文献脱稿しているが、英国でも米国でも刊行できずに終わり未刊稿本大英博物館寄贈するに留まっている。

※この「琉球王国」の解説は、「バーナード・ジャン・ベッテルハイム」の解説の一部です。
「琉球王国」を含む「バーナード・ジャン・ベッテルハイム」の記事については、「バーナード・ジャン・ベッテルハイム」の概要を参照ください。


琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 20:47 UTC 版)

併合」の記事における「琉球王国」の解説

1879年3月琉球王国が日本併合詳細琉球処分参照

※この「琉球王国」の解説は、「併合」の解説の一部です。
「琉球王国」を含む「併合」の記事については、「併合」の概要を参照ください。


琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:29 UTC 版)

明清交替」の記事における「琉球王国」の解説

明との冊封関係で、最も経済面利益得ていた国が琉球王国だった。明か朝貢貿易回数や船の提供などで優遇受けて琉球貿易繁栄したが、薩摩藩の琉球侵攻によって朝貢回数が減ると経済面打撃となった尚賢王即位によって冊封求め使節進貢使兼請封使)を明に送ったが、1644年福州着いた時には、すでに清が北京占領していた。使節金応元らは南京行き南明弘光政権から冊封認められた。しかし弘光政権崩壊し続いて隆武政権から冊封を受けるが、これも短命に終わった金応元らと入れ替わりに来た琉球使節の毛泰久金正春らは、清に冊封する方針変えて順治帝から了承を得る。しかしその後の交渉難航し尚賢王継いだ尚質王冊封は、康熙帝時代まで延期された。冊封受けた琉球は清と朝貢貿易行い18世紀中頃から海産物輸出盛んになった。北海道コンブ琉球経由清に輸出されるうになると、沖縄料理にもコンブ使われるようになった明の時代から琉球にいた中国系の人々は、琉球社会同化進んだ

※この「琉球王国」の解説は、「明清交替」の解説の一部です。
「琉球王国」を含む「明清交替」の記事については、「明清交替」の概要を参照ください。


琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 02:34 UTC 版)

番所」の記事における「琉球王国」の解説

琉球王国においては近世期地方機関である間切統治する役所のことを指した地頭代以下の間切役人交代番所詰めた王府及び地頭への貢租上納夫遣い、地方行政全般にわたって執り行い首里との人馬網の拠点としても用いられた。ただし、琉球処分沖縄戦などの混乱によって間切関連文書多く失われたために不明な点が多い。

※この「琉球王国」の解説は、「番所」の解説の一部です。
「琉球王国」を含む「番所」の記事については、「番所」の概要を参照ください。


琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 10:19 UTC 版)

花の慶次の登場人物」の記事における「琉球王国」の解説

尚寧 声:- / 中井和哉 / - / 石川英郎ラジオドラマ琉球の章」) 琉球国の王。利沙とはかつて恋仲であったが、王の道を歩まねばならないことから一度別れた。それでも諦めきれず、一目逢いたいと毛虎親方に利沙を連れて来るよう命じる。再会した際もやはり手放したくないと側室迎えようとしたが、すでにその時利沙の心の中には慶次がおり、最終的には利沙の意思尊重した王として資質高く文武両道琉球舞い披露した際は慶次も感心するほど流麗かつ輝き満ちた様子見せ、「その舞い私にも教えてくだされい」と言わしめた。毛虎親方幼少の頃から習っていた武芸かなりのもので、一対一稽古で1本取れるほどの腕前。 毛虎親方 声:- / 大友龍三郎 / - / 掛川裕彦ラジオドラマ琉球の章」) 尚寧王重臣。王の幼い頃から仕え宰相一人尚寧王忠節を尽くす武術妖術達人であり部下からの信頼も厚い。なお「親方」は「うぇーかた」と読む。 竜嶽親方 声:大場真人ラジオドラマ琉球の章」) 尚寧王重臣海賊上がりだが、琉球国庫任されるほど出世した双剣武器とし、毛虎親方配下五人衆まとめて倒すほどの腕前。しかし己のためになるなら冷酷非道な行為も辞さず、人の命を使い捨てて奪うことも躊躇わない危険人物。 己の中に湧き立つ感情抑えることができず、とうとうクーデター起こしてしまう。この際は1本の剣で慶次と互角上の戦い繰り広げた乱入した尚寧阻まれそのまま尚寧の手斬り捨てられる。斬られる瞬間固まったまま一切抵抗せず、まるでそれを望んでいたかのような晴々とした表情をし、尚寧から「信頼する重臣」と呼ばれ純粋に琉球尚寧王想う毛虎に対して「お前が羨ましかった」と告げて絶命する。 火嘉宇堂 声:- / 鈴木賢 地頭代の弟で「マムシの火嘉」と呼ばれる本名呼ばれることは少なく作中ではほぼマムシ通っている)。残忍横暴な性格をしており、地頭代の威を借りて悪辣非道な行為をしていた。利沙に対して変態的な愛情抱いており、彼女を強引な手段奪おうとするが慶次に半殺しの目に遭わされる手下からも陰口たたかれるなど人望あまりないその後、罪を犯したことが兄に知れて成敗された。宝山斬り捨てられた後、慶次は彼の死に哀悼の意表した原作密陽府使・晋の弟の義に相当するキャラクター。 火嘉宝山 声:- / 大場真人 火嘉宇堂の兄。利沙たちが暮らす南海孤島地頭代であるが、仕事部下任せて海人に姿を変えて釣り没頭するそれゆえ住民はその部下地頭代だと信じていた。自分知らない間に弟・宇堂が悪行をなしていた事実を知るや、即座にその弟を切り捨て、その態度は慶次を感服させた。利沙が連れ去られた時、毛虎親方五人衆の錦と戦った。慶次の首里への旅に同行する原作密陽府使・晋に相当するキャラクター美耶 利沙に仕え侍女最初は慶次をカルロスの手先と誤解して警戒していた。マムシ短刀立ち向かう逆に重傷を負わされる果敢で利沙への忠誠心も強いが、人を見る目がない上に頑迷であるため結果的に利沙の足を引っ張ってしまう。 最長老 声:- / 佐藤正治 利沙たちが住む孤島長老。昔は七つの海渡り歩いた海族。利沙と慶次の仲を公認するが、逆恨みしたマムシ襲われるその後、慶次にかつて使っていた鉄製強弓託し利沙の手を慶次の手に合わさせ「自由な海を行け」と残し安らかに絶命する。 虞 琉球役人。武が挨拶済ましたらしい。 宗元 声:- / 岸野幸正 慶次たちが琉球会った琉球士族出身役人最初は慶次を密偵と疑うが、慶次の心を知り飲み明かす原作釜山武将鄭撥相当する駿、応魁、善継、鏘、胤芾、遵 宗元の部下。慶次と宗元が飲んでいた店で他の客のふりをして慶次を監視していた。 長英 宗元の従弟琉球王族血を引いている。しかし、宗元が会った長英は毛虎親方変装していた。 琢全 琉球役人がめつい性格賄賂がないと何もしない松風気に入り我が物にしようとしたが、逆に松風に腕を噛まれ振り回される。 寵 琉球評定所役人琢全より高位とみられる尚懿 尚寧の父で先の琉球の王。尚寧のことを宰相の毛虎に託した概、毫、錦、嶺、張 毛虎の配下五人衆岩兵衛倒し利沙を孤島から連れ出したそれぞれかなりの使い手だが竜嶽に倒された。 寿徳 琉球王府長老反乱画策する竜嶽を諌めた殺された。 朴仁 竜嶽に雇われ殺し屋。明の名家氏の出身だが、倭寇捕虜となり過酷な拷問を受け続けていた。そこを海賊時代の竜嶽に救われ以来彼に従う。全身拷問受けた無数の傷痕がある異様な風貌をしている。過去受けた仕打ちから心を固く閉ざしており、心を読んだ岩兵衛が「あいつは人間じゃない」と評するほど。殺害命じられていた利沙の優しさ触れ人として心を取り戻すが用無し断じた竜嶽に殺された。

※この「琉球王国」の解説は、「花の慶次の登場人物」の解説の一部です。
「琉球王国」を含む「花の慶次の登場人物」の記事については、「花の慶次の登場人物」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「琉球王国」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

琉球王国

出典:『Wiktionary』 (2014/07/28 12:17 UTC 版)

固有名詞

琉球 王国りゅうきゅうおうこく

  1. かつて琉球列島存在していた王国尚巴志建国1872年琉球藩設置により消滅1429年 - 1872年

「琉球王国」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「琉球王国」の関連用語

琉球王国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



琉球王国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの琉球王国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの冊封 (改訂履歴)、琉球貿易 (改訂履歴)、文禄・慶長の役 (改訂履歴)、バーナード・ジャン・ベッテルハイム (改訂履歴)、併合 (改訂履歴)、明清交替 (改訂履歴)、番所 (改訂履歴)、花の慶次の登場人物 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA) and/or GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblioに掲載されている「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)」の記事は、Wiktionaryの琉球王国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA)もしくはGNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS