舜天
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舜天(しゅんてん、1166年(乾道2年) - 1237年(嘉煕元年)[1])は、舜天王統の開祖とされる人物で、琉球の正史(史書)では初代琉球国王と位置づけられている。在位51年(1187年(淳煕14年) - 1237年(嘉煕元年))。神号は尊敦(そんとん)[2]。
注釈
出典
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- ^ 『大里の文化財』(2001年)、pp.27, 41
- ^ 東恩納(1966年)、pp.24 - 25
- ^ 又吉盛清「為朝岩」、『浦添市史』(1989年)、p.376
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