初代・舜天
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 14:40 UTC 版)
詳細は「舜天」を参照 1166年(乾道2年)に生誕、琉球に渡った源為朝を父とする出自伝説をもつ。1180年(淳煕7年)に浦添按司となった。その後、天孫氏の25代目を滅ぼした臣下の利勇を討ち、1187年(淳煕14年)に、琉球国中山王に即位したとされる。1237年(嘉煕元年)に死去し、世子の舜馬順煕が即位した。 『中山世鑑』などの琉球の正史は、初代の王を舜天としており、『中山世鑑』成立前の「国王頌徳碑(かたのはなの碑)」などから、王国内で舜天が初代の琉球国王として認識されていたと考えられる。
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