初代第11軍
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「第11軍 (ロシア内戦)」の記事における「初代第11軍」の解説
1918年9月11日付共和国革命軍事会議指令に基づく同年10月3日の南部戦線(ロシア語版)革命軍事会議指令により、北カフカース全域の赤軍から形成された。その所属は当初の南部戦線から11月3日には同戦線カスピ・カフカース部門、12月8日から解散までの翌1919年2月13日まではカスピ・カフカース戦線であった。 当初、司令官にはイヴァン・ソローキン(ロシア語版)が任命されていたが、ソローキンは北カフカース革命軍事会議と北カフカース・ソビエト共和国中央執行委員会との間に起った対立に乗じて反乱を起こし、逮捕・処刑された。その後第11軍は第10軍を援護してツァリーツィンで白軍義勇軍(スペイン語版)と戦い、10月にはスタヴロポリとアルマヴィルまで進んだが、11月にはアントーン・デニーキンの軍に押されてスタヴロポリとネヴィンノムイスクから撤退した。しかし同時に、軍の一部はテレク州で発生した反乱に対抗し、モズドクを占領してウラジカフカス、グロズヌイとキズリャルを包囲している。12月下旬には再度攻勢に出たが、翌1919年1月初めには敵の猛反撃によって軍はスヴャートイ・クレスト(ロシア語版)=エリスタとグロズヌイ=キズリャルの2か所に分断された。戦闘のみならず発疹チフスの蔓延によっても大量の兵員が喪われ、軍はキズリャルを経由してアストラハンへ退却、一部はマヌィチ川を越えて第10軍へ合流した。
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