すいこでん【水滸伝】
水滸伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 14:15 UTC 版)
『水滸伝』(水滸傳、すいこでん)は、明代の中国で書かれた長編白話小説。『西遊記』『三国志演義』『金瓶梅』とともに「四大奇書」に数えられる[1]。
注釈
- ^ 北宋の徽宗期に起こった反乱を題材とする物語。1121年(宣和3年)に力を持った宋江率いる盗賊団が描かれている。
- ^ 「好漢」の元々の概念は「男らしい男」であったが、その中で「強い男」「武芸の心得のある男」だけが取り出され、さらにそれが「盗賊団の頭領」という概念に集約され、そこから政治権力に屈しない「反体制に属する者」という概念が付加されたとされる[2]。
- ^ 数は明確でないが、頭目の下に「小頭目」というのがおり、その下にさらに兵士的な手下が相当数いる。この手下の正確な数は不明だが、第六十八回にて総勢が2万2千人であることが確認できることから、おそらく数万人はいたとされる[3]。
- ^ ただし出版されたのは冠山の没後であることから、訳者に関しては真偽が問われている[4][5][6][7][8]。
- ^ 後出久保天隋譯補本の序文にも剽窃と指摘されている。詳細は高島俊男 (1991)を参照。
- ^ 高島俊男 (1991)に著者が確認できた限りの訳本を挙げているが、大半は馬琴・蘭山訳かそのダイジエストである
- ^ 経緯は高島俊男 (1991)に詳しい。
- ^ はじめ七十回本で訳し、七十回本終了後は百二十回本による。
- ^ ヒラオカリュウジョウ、生没年経歴等不明。国訳漢文大成の『紅楼夢』を幸田露伴と担当しているが、殆どが実質は平岡氏のみの担当らしい。
- ^ 当時集英社の子会社。現:集英社クリエイティブ
出典
- ^ a b c “コトバンク - 水滸伝”. 2018年11月22日閲覧。
- ^ 林雅清 (2006), pp. 103–104.
- ^ 長尾光之 (1976), p. 133.
- ^ 白木直也 (1958).
- ^ 中村綾 (2011), pp. 41–86(初出は中村綾 2003)
- ^ 中村綾 (2007a), p. 28.
- ^ 中村綾 (2011), pp. 89–111(初出は中村綾 2007b)
- ^ 中村綾 (2011), pp. 113–137(初出は中村綾 2008)
- ^ “歴博 第117号 歴史の証人 『水滸伝』の幕末維新”. 国立歴史民俗博物館 (2003年3月20日). 2009年9月24日閲覧。
- ^ 孫琳淨 (2021), pp. 81–101(初出は孫琳淨 2017)
- ^ 孫琳淨 (2021), pp. 121–159(初出は孫琳淨 2018)
- ^ 孫琳淨 (2021), pp. 103–119(初出は孫琳淨 2020a)
- ^ 孫琳淨 (2021), pp. 163–197(初出は孫琳淨 2016)
- ^ 孫琳淨 (2021), pp. 199–230(初出は孫琳淨 2019)
- ^ 孫琳淨 (2021), pp. 231–257(初出は孫琳淨 2020b)
- ^ 孫琳淨 (2021), pp. 259–270(本書の書き下ろし)
- ^ 葛綿正一 (2014), p. 56.
- ^ 駒林麻理子 (1981), pp. 68–69.
水滸伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 03:39 UTC 版)
照夜玉獅子 夜の月に照らされたように全身真っ白の馬。元々は金国の王子が所有していたが、馬泥棒の段景住が盗み宋江の乗馬となる。 踢雪烏騅 烏騅とは黒馬の意だが、踵が白いためこの名がある。呼延灼が梁山泊討伐のため、徽宗皇帝から下賜された名馬。 賽白玉 北京大名府の練兵場で索超が楊志と一騎討ちをする際に使用した白い名馬。 火塊赤 北京大名府の留守司である梁世傑が楊志に貸し与えた赤兎馬と称えられるほどの名馬。索超と一騎討ちする際に使用。 転山飛 山河を平地のように駆けるためそう名付けられた名馬。方臘の将・王寅の乗馬。 衝陣馬 陣を衝くという名の通り気性の荒い馬。曾頭市の曽長者の四男、曽魁の乗馬。
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水滸伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 04:08 UTC 版)
本人は『水滸伝』に登場しないが、地飛星項充のあだ名が八臂哪吒(はっぴなた)である。項充は梁山泊で、108人中64番目の人物。
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水滸伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 12:52 UTC 版)
『水滸伝:虚構のなかの史実』では、歴史上において、宋江は二人いたという新説を立てた。他に古来挿入部分とされていた遼国征伐についても「梁山泊を滅亡へ持って行くためには必要な部分」との見解を示した。
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水滸伝
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小説『水滸伝』では関羽の子孫という設定の関勝も、関羽のように赤兎馬に乗って戦場に出陣する話がある。また、呂布に憧れる小温侯呂方の乗馬も赤兎である。
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水滸伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 14:31 UTC 版)
中国の伝奇小説『水滸伝』(施、15世紀頃)に登場する、魔王が封印された建物。 道教(天師道)の本山である竜虎山に大上清宮、三清殿、九天殿、紫微殿、北極殿などと共に建立されていた。唐の時代に道士・洞玄国師が竜虎山の地下に魔王を封じ込め、そこに伏魔殿が建てられた。周囲を赤い土塀で囲まれ、軒先には金文字で「伏魔之殿」と書かれた看板が掲げられていた。正面の扉には護符が何枚も張られ、銅で固められた錠前が付いていた。社殿の中には神代文字が彫られた高さ2メートルほどの石碑があり、背面には普通の文字で「遇洪而開」と記されていた。石碑の地中約1メートルには、3メートル四方もの巨大な一枚岩があり、その下は底なしの深い穴となっている。この穴の中に魔王が封じ込められていた。代々の天師により、決して開けてはならない場所として厳重に守られていたが、北宋時代に竜虎山を訪れた官僚洪進によって封印が暴かれ、魔王が世に放たれた。伏魔殿という建物は江西省貴渓市の大上清宮内に実際に存在するが、現在の建物は2000年に再建されたものである。 竜虎山大上清宮の位置(現在の中華人民共和国江西省貴渓市上清鎮)
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水滸伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 10:07 UTC 版)
梁山泊の役職。この上の役職は、総頭領と軍師のみで、軍人の中では最高の位である(水滸伝百八星一覧表)。編成は、大刀関勝、豹子頭林冲、霹靂火秦明、双鞭呼延灼、双鎗将董平の5人。 なお、関勝は関羽の子孫という設定である(「大刀」とは、『三国志演義』での関羽の得物である青龍偃月刀を指す。青龍偃月刀を実際に使ったかどうかの記録は残されていないが、大刀の名手であったのは事実)。また、林冲は、得物が蛇矛であり、容貌が「豹頭環眼 燕頷虎鬚」と形容されている点から、張飛を元にしているとされる。
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