うたがわ‐くによし〔うたがは‐〕【歌川国芳】
歌川国芳
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歌川 国芳(うたがわ くによし、寛政9年11月15日(1798年1月1日[1] ) - 文久元年3月5日[2](1861年4月14日))は、江戸時代末期の浮世絵師。
注釈
- ^ 『枕辺深閏梅』は戯作者・花笠文京執筆の艶本で、国芳が挿絵を担当。艶本ため「一妙開程芳」と変名を名乗っているが、傍らに大好きな猫に座布団を譲り、同じく気に入っていた地獄変相図のどてらと三尺帯を着ることで国芳であることを表している。本図は下巻の口絵で、国芳自身が評判を期待する口上を述べている(図録(2014)p.49)。
- ^ しかし、国芳の次女よしの子孫の言い伝えでは、「四谷左門町の生まれ」という。この差異は、『新増補浮世絵類考』では「本銀二丁目に住し」とあるのを、三囲神社碑文で「銀街第一坊に於いて生まれた」と改変され、これが飯島虚心『浮世絵師歌川列伝』など諸書に引用されて広まったためだと考えられる(『破天荒の浮世絵師 歌川国芳』展図録、浮世絵 太田記念美術館、2011年、14-16頁)。
- ^ 所在地は墨田区向島2-5-17。石碑は境内に現存し、明治6年(1873年)国芳13回忌に遺族と門人たちが設立した。撰文は、幕末明治の儒学者・考証学者の東条琴台(狂言作者・戯作者だった花笠文京の兄)。裏面には70名余りの弟子や孫弟子の名が並び、その中には初代五姓田芳柳や山本芳翠らの名もある。
- ^ ただし、先述した次女よしの子孫の言い伝えによると、「国芳は豊国の弟子ではなかった」と言う。これは実質的に国直が師匠であったが、当時最高の人気絵師だった豊国の門人と名乗った方が、社会的に有利だった事情によると考えられる。事実、国芳は豊国との関係が希薄で、その引き立てを受けた形跡がほとんど無い(『破天荒の浮世絵師 歌川国芳』展図録、14-16頁)。
- ^ 現在確認されているのは、重複する人物図を含めて74図。中には二枚続、竪二枚続、三枚続になる図もある。『水滸伝』のシリーズについては「関連項目」(一つ上の項)に画像のある記事を集めてあるので参照のこと。
- ^ 史実でも大石良雄は寒がりだったと記される。「火鉢煙草盆など暖諸用具相渡すべく伺い出も有りしが、御指圖破れざるに付き見合せと取り計べし」(『肥後熊本藩 細川家記』)
- ^ 「怪猫五十三次 (1956年の映画)」等映画化もされた。
- ^ 仮名垣魯文の滑稽本『滑稽富士詣』四編に「そんなに猫が欲しきゃあ、国芳のとこのを一匹貰ってやろう」と書かれている。
- ^ 一見1人の人物の顔に見えたものが、見方を変えると複数の人物像に見えるといったもの。参考:トロンプ・ルイユ。
- ^ 日常の道具を鳥と木に見立てた絵本『見立百花鳥』(宝暦5年(1755年)刊)、生活道具を寄せ集めて作り物に仕立てた絵本『造物趣向種』(天明7年(1787年)初版)、影絵を題材としながらも実際の指南書と言うより、絵としての滑稽さや意外性を追求した十返舎一九作・喜多川月麿画『紅毛影絵 於都里伎(おらんだかげえ おりつき)』(文化7年(1810年)刊)など。
- ^ BS朝日「時をかける浮世絵師」(2013年1月26日放送)における、江戸東京博物館・都市歴史研究室長の小澤弘の話によれば、当時の時代をそのまま切り取り、少し誇張したのではないかという。櫓が三本脚でスカイツリーと似ているし、近くに国芳の碑文がある三囲神社もあるという結論で終わった。
出典
- ^ 大久保純一 (1994), “歌川国芳”, 朝日日本歴史人物事典, 朝日新聞社, ISBN 4023400521
- ^ 井上和雄『浮世絵師伝』による。『新増補浮世絵類考』は3月4日とする。
- ^ a b 『新増補浮世絵類考』
- ^ 井上和雄『浮世絵師伝』昭和6年。ただし、鈴木重三はもう少し遅いと見る(『生誕二百年記念 歌川国芳展』図録、8頁)
- ^ 国芳『忠臣蔵 夜討之圖』(天保2年、東京国立博物館)
- ^ 同『化物忠臣蔵』(嘉永5年、東京国立博物館)
- ^ 同『蝦蟇手本ひやうきんぐら』(太田記念美術館)
- ^ 同『見立ちう身ぐら』(嘉永5年、立命館ARC)
- ^ 悳俊彦 2008, p. 6.
- ^ a b 悳俊彦 2008, p. 9.
- ^ 悳俊彦 2008, p. 8
- ^ 悳俊彦 2008, p. 10.
- ^ 悳俊彦 2008, p. 8、欄外注記
- ^ 悳俊彦 2008, p. 7.
- ^ 悳俊彦 2008, pp. 10–11.
- ^ 善光寺御開帳記念 歌川国芳「木曽街道六十九次」2022年4月10日~7月11日 - 田中本家博物館
- ^ 長田(2002)。[要ページ番号]
- ^ 『朧月猫草帋 7編28巻』. NCID BB04697476また、 2013年に金子信久訳で『おこまの大冒険〜朧月猫の草紙〜』ISBN 978-4756244291復刻
- ^ 歌川国芳, 太田記念美術館, NHKプロモーション, 佐川美術館, 郡山市立美術館, 悳俊彦, 稲垣進一, 勝原良太, 河野元昭, 日野原健司「"日野原健司 「国芳の戯画 そのアイディアの源流」"」『國芳 : 没後一五〇年記念 : 破天荒の浮世絵師歌川国芳= Kuniyoshi』NHKプロモーション、2011年。全国書誌番号:21957485 。
- ^ 村松梢風 『本朝画人伝』「柴田是真」
- ^ 勝原良太「<研究ノート>国芳の洋風版画と蘭書『東西海陸紀行』の図像」『日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要』第34巻、国際日本文化研究センター、2007年3月、249-271頁、doi:10.15055/00000589、ISSN 0915-0900、CRID 1390290699747375104。
- ^ 画題解説は、稲垣進一、悳俊彦編著『国芳の狂画』(東京書籍、1991年、14-15頁)や『破天荒の浮世絵師 歌川国芳』展図録(浮世絵太田記念美術館、2011年、118-119頁)を参照。
- ^ 特別展 没後150周年 歌川国芳展(大阪市立美術館サイト内の説明ページ)
- ^ 没後150年 歌川国芳展(静岡市美術館サイト内の説明ページ)
- ^ “没後150年 歌川国芳展[ Kuniyoshi: Spectacular Ukiyo-e Imagination ]”. 2012年1月29日閲覧。
- ^ “"Crater on Mercury Named Kuniyoshi"”. Astrogeology Science Center (2014年3月14日). 2014年4月3日閲覧。
歌川国芳
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猫好きで有名な浮世絵師。寛永寺の開山忌に参列した御年寄たちを見物にきた際、猫を凝視する滝山を相当な猫好きだと見抜いた。また大奥で開かれた縁日では国芳の浮世絵「鼠よけの猫」が吉野ちゃん(姉小路の猫)に似ていると話題になった。
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歌川 国芳(うたがわ くによし)
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