回向院とは? わかりやすく解説

えこう‐いん〔ヱカウヰン〕【回向院】

読み方:えこういん

東京都墨田区両国にある浄土宗の寺。無縁寺ともいう。山号は国豊(こくぶ)山。開創明暦3年(1657)、開山は遵誉貴屋(じゅんよきおく)。幕府明暦の大火犠牲者供養するため建立その後牢死者・刑死者・安政の大地震死者などを弔う18世紀末境内勧進相撲興行したのが、両国大相撲起源という。鼠小僧次郎吉の墓がある。


えこういん 【回向院】

東京両国にある浄土宗の寺。国豊山無縁寺一六五七明暦三)年大火死者弔うため増上寺の僧が幕府出願し建立。のち牢死者・刑死者も葬り一七八一天明一)年以来境内供養のための勧進相撲が行われ、現在の大相撲基礎をなした。山東京伝鼠小僧次郎吉の墓もある。→ 勧進

回向院

読み方:エコウイン(ekouin)

宗派 浄土宗

所在 東京都墨田区

本尊 阿弥陀如来


回向院

読み方:エコウイン(ekouin)

宗派 浄土宗

所在 東京都荒川区

本尊 阿弥陀如来


回向院

読み方:エコウイン(ekouin)

宗派 浄土宗

所在 愛知県岡崎市

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

回向院

作者峰隆一郎

収載図書千切良十内 殺し
出版社実業之日本社
刊行年月1995.7
シリーズ名ジョイ・ノベルス


回向院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 10:43 UTC 版)

両ごく回向院元柳橋(歌川広重「名所江戸百景」のうち)

回向院(えこういん)は、東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院、および過去にその別院であった東京都荒川区南千住五丁目にある寺院。

両国回向院

両国回向院


両国回向院正門

所在地 東京都墨田区両国二丁目8番10号
位置 北緯35度41分36.24秒 東経139度47分31秒 / 北緯35.6934000度 東経139.79194度 / 35.6934000; 139.79194 (両国回向院)
山号 諸宗山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来[1]
創建年 1657年明暦3年)[2]
開基 江戸幕府
正式名 諸宗山 無縁寺 回向院
別称 本所回向院
札所等 江戸三十三観音札所 第4番
公式サイト 回向院
法人番号 6010605000314
テンプレートを表示

東京都墨田区両国二丁目にある寺。山号は諸宗山。正称は諸宗山(一時期、国豊山と称す[1])無縁寺回向院。墨田区本所地域内に所在していることから「本所回向院」とも呼ばれている。

振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる明暦の大火1657年明暦3年))の焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まり。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬する。

あらゆる宗派だけでなく人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、軍用犬軍馬慰霊碑や「猫塚」「唐犬八之塚」「オットセイ供養塔」「犬猫供養塔」「小鳥供養塔」、邦楽器商組合の「犬猫供養塔」(三味線の革の供養)など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑、ペットの墓も多数ある。江戸三十三所観音参りの第4番札所であり[注釈 1]、この馬頭観世音菩薩も徳川家綱の愛馬を供養したことに由来している。

1793年寛政5年)、老中松平定信の命によって造立された「水子塚」は、水子供養の発祥とされている。2月第一土曜日14時から水子塚の前にて水子総供養を、その他は隔月毎に本堂にて水子供養を行っている。

著名人のとして、山東京伝竹本義太夫鼠小僧次郎吉など。参拝客のために両国橋が架けられた。

1768年明和5年)以降には、境内で勧進相撲が興行された。これが今日の大相撲の起源となり、1909年明治42年)旧両国国技館が建てられるに至った。国技館建設までの時代の相撲を指して「回向院相撲」と呼ぶこともある。1936年昭和11年)1月には大日本相撲協会が物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」を建立した[3]

六基の石造海難供養碑があり墨田区の登録文化財となっている[4]

また、千葉県市川市国府台八千代市上高野に別院が建立されている。市川別院は浅草松葉町(現在の松が谷)にあった別院・源光寺が関東大震災による焼失を受けて郊外の市川に移転したものである[5]

2013年に同寺院に建てられた念仏堂が、2016年度グッドデザイン賞受賞[6]

南千住回向院

南千住回向院

所在地 東京都荒川区南千住五丁目33番13号
位置 北緯35度43分56.04秒 東経139度47分52秒 / 北緯35.7322333度 東経139.79778度 / 35.7322333; 139.79778 (南千住回向院)
山号 豊国山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 1667年寛文7年)
開基 弟誉義観
正式名 豊国山 回向院
別称 小塚原回向院
法人番号 8011505000286
テンプレートを表示

東京都荒川区南千住五丁目にある寺で、過去は両国回向院の別院。現在は独立して正称は豊国山(ほうこくさん)回向院。小塚原回向院とも。

1651年慶安4年)に新設された小塚原(こづかっぱら、こづかはら)刑場での刑死者を供養するため、1667年寛文7年)に本所回向院の住職弟誉義観(ていよ・ぎかん)が常行堂を創建したことに始まる。

この寺には、安政の大獄により刑死した橋本左内吉田松陰頼三樹三郎ら、「毒婦」と云われた高橋お伝鼠小僧などの歴史上の有名人物が葬られている。他には、二・二六事件首謀者の一人である磯部浅一や、プロレスラーカール・ゴッチの墓がある。

1771年明和8年)に蘭学杉田玄白中川淳庵前野良沢らが刑死者の解剖(腑分け/ふわけ)に立ち合ったことを記念した観臓記念碑(建立は1922年)がある。

戦後の代表的な誘拐事件の通称「吉展ちゃん事件1963年)」の犠牲者村越吉展(当時4歳)の供養のために建立された「吉展地蔵尊(よしのぶじぞうそん)」がこの寺の入り口にある。(荒川区の円通寺にも「吉展地蔵尊」がある。)

この寺は常磐線沿線にあり、鉄道敷設の際に南北に分断される。その後分断された南側部分が独立して延命寺となる。

延命寺敷地内には3.6m余の延命地蔵尊(俗称は首切り地蔵)がある。(2011年3月11日に起きた震災で左上腕部分接合部が破損したが、翌年修復された[7])。

2006年に全改装工事済(会館・永代供養塔の新設及び墓地内改装)

脚注

注釈

  1. ^ 「江戸砂子拾遺」によると、享保年中の「江戸三十三観音」では二十六番札所と記されている

出典

  1. ^ a b 江戸名所図会 1927, p. 54.
  2. ^ 回向院 開創.
  3. ^ 回向院相撲関係石碑群(力塚)”. 墨田区教育委員会. 2025年3月20日閲覧。
  4. ^ 石造海難供養碑”. 墨田区教育委員会. 2025年3月8日閲覧。
  5. ^ 回向院ホームページ「関連施設」より
  6. ^ 受賞対象名 - 建築物 [回向院 念仏堂] - GOOD DESIGN AWARD
  7. ^ 47News 2012年10月20日

参考文献

  • 斎藤幸雄「巻之七 揺光之部 國豊山回向院」『江戸名所図会』 4巻、有朋堂書店、1927年、54-59頁。NDLJP:1174161/32 
  • 開創”. 回向院. 2021年2月19日閲覧。

関連項目

外部リンク

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML



回向院と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「回向院」の関連用語

回向院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



回向院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの回向院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS