高橋お伝とは? わかりやすく解説

たかはし‐おでん【高橋お伝】

読み方:たかはしおでん

[1851〜1879]夫殺しその他の悪事重ね明治初期処刑され女性群馬生まれ。その行状仮名垣魯文高橋阿伝夜叉譚(やしゃものがたり)」、河竹黙阿弥綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)」などに脚色された。


高橋お伝

作者柴田錬三郎

収載図書毒婦伝奇―立川文庫
出版社集英社
刊行年月1987.12
シリーズ名集英社文庫

収載図書怪談 累ケ淵
出版社光文社
刊行年月1992.5
シリーズ名光文社時代小説文庫

収載図書毒婦伝
出版社文芸春秋
刊行年月1995.4
シリーズ名文春文庫


高橋お伝

作者平林たい子

収載図書平林たい子毒婦小説集
出版社講談社
刊行年月2006.6
シリーズ名講談社文芸文庫


高橋お伝

作者海音寺潮五郎

収載図書悪人列伝 近代新装版
出版社文藝春秋
刊行年月2007.2
シリーズ名文春文庫


高橋お伝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 03:46 UTC 版)

高橋 お伝(たかはし おでん、本名:でん、嘉永元年(1848年) - 明治12年(1879年1月31日)は、日本の殺人犯、女性死刑囚仮名垣魯文の「高橋阿伝夜刃譚」のモデルとなり、「明治の毒婦」と呼ばれた。


注釈

  1. ^ 生年月日については月夜野町役場戸籍では嘉永元年7月29日(1848年8月27日)となっている他、実家・養家の経歴書では同年8月13日(1848年9月10日)、他には嘉永4年(1851年)とする説[1]、嘉永3年7月(1850年8月)とするものがある[2]。明治12年2月1日付「朝野新聞」では「三十年七ヶ月」とする1月31日の裁判所申渡書を掲載しており、逆算すると嘉永元年の生まれとなる。
  2. ^ 慶応3年11月(1867年12月)とする説もある[要出典]
  3. ^ 明治9年9月12日付「東京日日新聞」では明治4年以前とする。
  4. ^ 毒殺などと言われるが実際は逆で、お伝は厚い看病をしていたという[6]
  5. ^ 吉蔵はお伝の異母姉「かね」を囲い者にしていたが、姉を頼ってやって来たお伝を見初め、かねを毒殺したという噂もある[9]
  6. ^ 事実かどうかは定かではないものの、旧刑法施行後の1886年(明治19年)12月に「青森の亭主殺し」事件の加害者である小山内スミと小野長之助の公開斬首刑が青森県弘前市青森監獄前で行われた。この時2人の斬首刑に兼平巡査が斬首刑の執行人として、死刑執行者付添役に森矯(東奥義塾教師)がそれぞれの任を果したといわている。もし、これが事実である場合、この死刑執行は事実上の斬首刑の最後であるとともに、官憲による日本国内における一般刑法犯に対する最後の非合法[当時の旧刑法では、非公開絞首刑のみ。]の死刑執行かつ公開処刑であるといわざるを得なくなると同時に、高橋お伝は22番目から30番目の間に斬首された女囚であり、本当に斬首刑にされた最後の女囚は小山内スミということになる[27]
  7. ^ 遺骨は納められていない。
  8. ^ 錦絵新聞の一。明治23年(1890年)に廃刊した。

出典

  1. ^ 橋本勝三郎『江戸の百女事典』新潮選書、1997年、pp.130-132
  2. ^ 楠戸義昭 1992, pp. 200–201.
  3. ^ a b 萩原進 1965, p. 425.
  4. ^ 萩原進 1965, pp. 410, 426.
  5. ^ 楠戸義昭 1992, p. 201.
  6. ^ 中嶋繁雄 2004, p. 82.
  7. ^ 萩原進 1965, p. 411.
  8. ^ 萩原進 1965, pp. 411–413.
  9. ^ 大橋義輝 2013, p. 14.
  10. ^ 中嶋繁雄 2004, pp. 79–81.
  11. ^ 萩原進 1965, p. 414.
  12. ^ 萩原進 1965, p. 415.
  13. ^ 当時は判決当日に処刑されるならわしだった。辞世(伝)は「しばらくも 望みなき世にあらんより 渡しいそげや 三途の河守」
  14. ^ 重松一義 2007.
  15. ^ 重松一義 2005.
  16. ^ 朝倉喬司 2013.
  17. ^ 萩原進 1965, p. 416.
  18. ^ 萩原進 1965, pp. 417–423.
  19. ^ 司法省 (1879年). “司法省第五刑事統計年報 第一號 常事犯者ノ罪名及び處斷(コマ番号57)”. 2020年10月24日閲覧。
  20. ^ 司法省 (1880年). “司法省第六刑事統計年報 第一部第一號 常事犯者ノ罪状及處斷(コマ番号60)”. 2020年10月24日閲覧。
  21. ^ 司法省 (1881年). “司法省第七刑事統計年報 第一部第一號 常事犯者ノ罪状及處斷(コマ番号57)”. 2020年10月24日閲覧。
  22. ^ 静岡県史料刊行会 (1969), 所刑書類, 明治初期静岡県史料, 3, 静岡県立中央図書館葵文庫, pp. 584-591, doi:10.11501/3016891, NCID BN01798314 
  23. ^ 静岡県, 駿河国史 第3輯 材料 処刑書類(明治11‐14年)(56-66コマ目), 国立公文書館, https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/result?DEF_XSL=detail&IS_KIND=detail&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_TAG_S16=eadid&IS_KEY_S16=M2007041211392351053&IS_LGC_S16=AND&IS_EXTSCH=F2009121017025600406%2BF2005022412244001427%2BF2005031812272303110%2BF2007041211384651004&IS_ORG_ID=M2007041211392351053&IS_STYLE=default&IS_SORT_FLD=sort.tror%2Csort.refc&IS_SORT_KND=asc 
  24. ^ 兵庫県, 兵庫県史 政治之部 刑賞2(明治元‐13年)(107-109コマ目), 国立公文書館, https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/result?DEF_XSL=detail&IS_KIND=detail&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_TAG_S16=eadid&IS_KEY_S16=M2007041211463451626&IS_LGC_S16=AND&IS_EXTSCH=F2009121017025600406%2BF2005022412244001427%2BF2005031812272303110%2BF2007041211462851619&IS_ORG_ID=M2007041211463451626&IS_STYLE=default&IS_SORT_FLD=sort.tror%2Csort.refc&IS_SORT_KND=asc 
  25. ^ 石川県, 石川県誌稿 政治部 刑賞5(明治4‐17年)(14-25コマ目), 国立公文書館, https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/result?DEF_XSL=detail&IS_KIND=detail&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_TAG_S16=eadid&IS_KEY_S16=M2007041211342050649&IS_LGC_S16=AND&IS_TAG_S1=all&IS_KEY_S1=%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E8%AA%8C%E7%A8%BF%E3%80%80%E6%94%BF%E6%B2%BB%E9%83%A8%E3%80%80%E5%88%91%E8%B3%9E5&IS_MAP_S1=&IS_LGC_S1=&IS_EXTSCH=F2009121017025600406%2BF2005022412244001427%2BF2005031812272303110%2BF2007041211341050636&IS_ORG_ID=M2007041211342050649&IS_STYLE=default&IS_SORT_FLD=sort.tror%2Csort.refc&IS_SORT_KND=asc 
  26. ^ 熊本県, 熊本県国史 上 政治部(明治12年)(44-48コマ目), 国立公文書館, https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/result?DEF_XSL=detail&IS_KIND=detail&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_TAG_S16=eadid&IS_KEY_S16=M2007041211572352475&IS_LGC_S16=AND&IS_EXTSCH=F2009121017025600406%2BF2005022412244001427%2BF2005031812272303110%2BF2007041211571052459&IS_ORG_ID=M2007041211572352475&IS_STYLE=default&IS_SORT_FLD=sort.tror%2Csort.refc&IS_SORT_KND=asc 
  27. ^ 手塚 豊 (1960-04), 刑罰と国家権力  国家的刑罰権と非国家的刑罰権――明治前期の場合に関する一未定稿, 法制史学会, pp. 182-185, doi:10.11501/2527269, NCID BN0366777X 
  28. ^ 鳥取県 (1881). 鳥取県史(鳥取県歴史) 政治部(明治14年)(27-32コマ) (JPEG,PDF) (Report). 国立公文書館. 2021年10月17日閲覧
  29. ^ 眞有 澄香『〈毒婦〉という教育』日本ペンクラブ 電子文藝館
  30. ^ 高橋お伝碑」TAITOおでかけナビ


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