石田民三とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 石田民三の意味・解説 

石田民三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 15:58 UTC 版)

いしだ たみぞう
石田 民三
1930年
生年月日 (1901-06-07) 1901年6月7日
没年月日 (1972-10-01) 1972年10月1日(71歳没)
出生地 日本
職業 映画監督
ジャンル 映画
著名な家族 加戸野五郎(弟)
テンプレートを表示

石田 民三(いしだ たみぞう、1901年6月7日 - 1972年10月1日[1])は、日本映画監督

秋田県平鹿郡増田町(現・横手市)生まれ。1926年に『愛傷』で監督デビュー。東亜キネマでは主に剣戟映画を手がけていたが、帝キネ新興キネマ時代に鈴木澄子主演の女性映画、明治もので頭角を現し、東宝京都時代には花街映画の傑作を立て続けに発表した。浪曲映画から戦後は観光映画まで、生涯に手がけた映画は約90本。戦後は京都の花街・上七軒で妻とお茶屋を営みながら北野をどりの作・演出を行った。[2]

新東宝に在籍していた映画監督の加戸野五郎は実弟。

主な監督作品

  • 愛傷(1926年)東亜等持院[3]
  • おせん(1934年)新興キネマ[4]
  • お伝地獄(1935年)新興キネマ[3]
  • 花火の街(1937年)J.O.スタヂオ[5]
  • 夜の鳩(1937年)J.O.スタヂオ[5]
  • 東海美女傳(1937年)J.O.スタヂオ
  • 花ちりぬ(1938年)東宝[5]
  • むかしの歌(1939年)東宝[5]
  • 喧嘩鳶 前後篇(1939年)東宝[5]
  • 花つみ日記(1939年)東宝[5]
  • 化粧雪(1940年)東宝[1]
  • 釣鐘草(1940年)東宝[5]
  • をり鶴七変化 前後篇(1941年)東宝[3]
  • 山まつり梵天唄(1942年)東宝
  • 浪曲忠臣蔵(1943年)東宝[3]
  • あさぎり軍歌(1943年)東宝[5]
  • 三尺左吾平(1944年)東宝[5]
  • 縁は異なもの(1947年)吉本プロ[3]

脚注

  1. ^ a b 石田民三 - 映画ならKINENOTE”. www.kinenote.com. 2022年7月3日閲覧。
  2. ^ 東宝の90年 モダンと革新の映画史(1) | 国立映画アーカイブ”. www.nfaj.go.jp. 2022年7月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e 石田民三 - 日本映画データベース、2024年9月4日閲覧
  4. ^ 石田民三 - 国立映画アーカイブ、2024年9月4日閲覧
  5. ^ a b c d e f g h i 石田民三 - allcinema、2024年9月4日閲覧

外部リンク





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石田民三」の関連用語

石田民三のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石田民三のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石田民三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS