石田波郷とは? わかりやすく解説

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いしだ‐はきょう〔‐ハキヤウ〕【石田波郷】

読み方:いしだはきょう

[1913〜1969俳人愛媛生まれ本名、哲大(てつお)。水原秋桜子(しゅうおうし)の教えを受け、「馬酔木(あしび)」の同人となる。清新な青春俳句注目され、のち、句誌」を主宰句集に「鶴の眼」「風切」「惜命(しゃくみょう)」など。


石田波郷

読み方:いしだ

俳人愛媛県生。名は哲大。明大中退郷里俳人五十崎古郷師事するが、上京後水原秋桜子指導の下、「馬酔木最年少同人となり、のち「」を主宰する。『定本石田波郷全集』は第6回読売文学賞受賞朝日新聞俳句選者となるなど俳壇中心的存在として活躍した昭和44年1969)歿、56才。

石田波郷

石田波郷の俳句

あえかなる薔薇撰りをれば春の雷
いつも来る綿虫のころ深大寺
うつむきて歩く心や蓼の花
くらがりの合歓を知りゐる端居かな
ことごとく枯れし涯なり船の中
さくらの芽のはげしさ仰ぎ蹌ける
しづけさにたたかふ蟹や蓼の花
たばしるや鵙叫喚す胸形変
とまり木に隠れ心や西行忌
はこべらや焦土のいろの雀ども
ひとつ咲く酒中花はわが恋椿
ほしいまま旅したまひき西行忌
ほととぎすすでに遺児めく二人子よ
ゆるぎなく妻は肥りぬ桃の下
わが死後へわが飲む梅酒遺したし
ニコライの鐘の愉しき落葉かな
バスを待ち大路の春をうたがはず
プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ
一樹なき小学校に吾子を入れぬ
一茶忌や父を限りの小百姓
一高へ径の傾く芋嵐
七夕竹借命の文字隠れなし
人はみな旅せむ心鳥渡る
今生は病む生なりき烏頭
優曇華や昨日の如き熱の中
元日の日があたりをり土不踏
六月の女すわれる荒筵
冬日宙少女鼓隊に母となる日
冷奴隣に灯先んじて
初蝶やわが三十の袖袂
力なく降る雪なればなぐさまず
力竭して山越えし夢露か霜か
名月や門の欅も武蔵ぶり
君たちの恋句ばかりの夜の萩
吹きおこる秋風鶴をあゆましむ
唇甜めて英霊に礼す冬旱
坂の上たそがれ長き五月憂し
夕づく蛾柏大樹をめぐりけり
夜桜やうらわかき月本郷に
天地に妻が薪割る春の暮
女来と帯纒き出づる百日紅
寒むや吾がかなしき妻を子にかへす
寒卵薔薇色させる朝ありぬ
寒椿つひに一日のふところ手
寒菊や母のやうなる見舞妻
弥撒の庭蚯蚓が砂にまみれ這ふ
息安く仰臥してをりクリスマス
悉く芝区の英霊木枯れたり
悉く遠し一油蟬鳴きやめば
手花火を命継ぐ如燃やすなり
 

石田波郷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 10:23 UTC 版)

石田 波郷(いしだ はきょう、1913年大正2年)3月18日 - 1969年昭和44年)11月21日)は、愛媛県出身の日本俳人。本名は哲大(てつお)[1]水原秋桜子に師事、『馬酔木』に拠ったのち、『』を創刊・主宰。初期の青春性のあふれる叙情句から始まり、自己の生活を見つめる、人間性に深く根ざした作風を追求。加藤楸邨中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。昭和の第二次世界大戦前に流行した新興俳句運動を批判し、韻文精神の尊重を説き、切れ字を重視。戦中には結核を発病し、戦後は病と対峙する自身の生活を題材とする境涯俳句を詠み続けた。


  1. ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、101頁。 
  2. ^ a b c d 『石田波郷集』三橋敏雄解説(307頁)
  3. ^ 『石田波郷集』三橋敏雄解説(308頁)
  4. ^ a b c d 『石田波郷集』三橋敏雄解説(309-310頁)
  5. ^ 石田波郷記念館 江東区砂町文化センター(2022年9月14日閲覧)
  6. ^ 『石田波郷集』三橋敏雄解説(315頁)
  7. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)30頁
  8. ^ a b 山本健吉『定本現代俳句』 367・397頁
  9. ^ a b c d 小島健「石田波郷」『現代俳句大事典』(三省堂、2005年)44-49頁
  10. ^ この波郷の言の初出は『鶴』1939年1月号で、同人石野兌の作品に対する評に見られる。のちに横光利一が『鶴の眼』の序に引用し有名になった。
  11. ^ 『石田波郷集』三橋敏雄解説(312頁)
  12. ^ 長谷川櫂「夜の風鈴―石田波郷論」『古志・天球』(1995年)110-112頁
  13. ^ a b 『石田波郷集』三橋敏雄解説(313-314頁)
  14. ^ 長谷川櫂「季語と切れはオリジナル」『「俳句」百年の問い』394-413頁
  15. ^ 全集や全句集はこれらを中心に編まれており、収録作品数および制作年代は次の通りである。『鶴の眼』(363句、初期-1939年)、『風切』(318句、1939年-1943年)、『病鴈』(111句、1943年-1945年)、『雨覆』(273句:1946年-1947年)、『惜命』(506句:1947年-1950年)、『春嵐』(424句:1950年-1957年)、『酒中花』(928句:1957年-1968年)、『酒中花以後』(272句:1968年-没年)。
  16. ^ 『波郷百句』の再刊。「下」は未刊である。
  17. ^ 『波郷百句』および「『春嵐』私註」を中心に、自句自解の文章を収める。また、妻・石田あき子による鑑賞文13編も収められている。
  18. ^ 川戸直美「五・七・五 無限の世界」『清中だより』平成21年度6月号(2009年)


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