いしだ‐はきょう〔‐ハキヤウ〕【石田波郷】
石田波郷
石田波郷
石田波郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/25 06:14 UTC 版)
石田 波郷(いしだ はきょう、1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日)は、愛媛県出身の俳人。本名は哲大(てつお)。水原秋桜子に師事、「馬酔木」に拠ったのち、「鶴」を創刊・主宰。初期の青春性のあふれる叙情句からはじまり、自己の生活を見つめる、人間性に深く根ざした作風を追求、加藤楸邨、中村草田男らとともに人間探求派と呼ばれた。昭和戦前に流行した新興俳句運動を批判し、韻文精神の尊重を説き切れ字を重視。戦中には結核を発病し、戦後は病と対峙する自身の生活を題材とする境涯俳句を詠み続けた。
- ^ a b c d 『石田波郷集』三橋敏雄解説 307頁。
- ^ 『石田波郷集』三橋敏雄解説 308頁。
- ^ a b c d 『石田波郷集』三橋敏雄解説 309-310頁。
- ^ 『石田波郷集』三橋敏雄解説 315頁。
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)30頁
- ^ a b 山本健吉 『定本現代俳句』 367・397頁。
- ^ a b c d 小島健 「石田波郷」『現代俳句大事典』 三省堂、2005年、44-49頁。
- ^ この波郷の言の初出は『鶴』1939年1月号で、同人石野兌の作品に対する評に見られる。のちに横光利一が『鶴の眼』の序に引用し有名になった。
- ^ 『石田波郷集』三橋敏雄解説 312頁。
- ^ 長谷川櫂 「夜の風鈴―石田波郷論」『古志・天球』 1995年、110-112頁。
- ^ a b 『石田波郷集』三橋敏雄解説 313-314頁。
- ^ 長谷川櫂「季語と切れはオリジナル」『「俳句」百年の問い』 394-413頁。
- ^ 全集や全句集はこれらを中心に編まれており、収録作品数および制作年代は次の通りである。『鶴の眼』(363句、初期-1939年)、『風切』(318句、1939年-1943年)、『病鴈』(111句、1943年-1945年)、『雨覆』(273句:1946年-1947年)、『惜命』(506句:1947年-1950年)、『春嵐』(424句:1950年-1957年)、『酒中花』(928句:1957年-1968年)、『酒中花以後』(272句:1968年-没年)。
- ^ 『波郷百句』の再刊。また、「下」は未刊である。
- ^ 『波郷百句』および「『春嵐』私註」を中心に、自句自解の文章を収める。また、妻・石田あき子による鑑賞文13編も収められている。
- ^ 川戸直美 「五・七・五 無限の世界」『清中だより』平成21年度6月号、2009年。
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