私小説とは? わかりやすく解説

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し‐しょうせつ〔‐セウセツ〕【私小説】

読み方:ししょうせつ

作者自身主人公として、自己の生活体験とその間心境感慨吐露していく小説日本独特の小説の一形態で、大正期から昭和初期にかけて文壇主流をなした。わたくし小説

イッヒロマン訳語


わたくし‐しょうせつ〔‐セウセツ〕【私小説】

読み方:わたくししょうせつ

ししょうせつ(私小説)


私小説

作者林真理子

収載図書短篇集少々官能的に
出版社文芸春秋
刊行年月1988.12


私小説

作者渡辺浩弐

収載図書マザー・ハッカー―1999年ゲーム・キッズ 2
出版社幻冬舎
刊行年月1997.11
シリーズ名幻冬舎文庫


私小説

作者瀬戸内寂聴

収載図書瀬戸内寂聴全集 10 長篇
出版社新潮社
刊行年月2001.11


私小説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 08:57 UTC 版)

私小説(わたくししょうせつ、ししょうせつ)は、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ぶこともあるものの、私小説と心境小説は区別されることがある。日本における自然主義文学は、私小説として展開された。

概論

1907年明治40年)の田山花袋蒲団」を私小説の始まりとする説が有力であるが、平野謙は、1913年大正2年)の近松秋江の「疑惑」と木村荘太の「牽引」を、私小説が確立した時期だとする[1]。これらが多く自己暴露的性質を持っていたのに対し、志賀直哉の『和解』のような作風を「心境小説」と呼ぶ。客観描写ではなく、対象を見た著者の内面を描く事を主眼とした。

実際には白樺派の作品に対する揶揄として1920年代に用いられたのが始まりである。

文学史上では、絵空事のストーリーを楽しむロマン主義を否定する形で生じたリアリズム写実主義)の極北に位置する。空想・虚構(フィクション)の要素を排して、事実を示すことで「真実を描く」という芸術の目的に達しようとした。多くの場合、作者の実体験のみに範囲を限定し、身辺や自分自身のことを語り、客観描写よりも内面描写を主としている。

その呼称から、「私」と一人称で語られるものとする解釈もあるが、三人称のものも多い。私小説の「私(わたくし)」とは「公(おおやけ)」の対語、つまり「プライベートなこと」と解することもできる。小説においては作者と作品の主人公は同一視出来ないとするのが一般的だが、私小説ではしばしば作者本人と同一視され、作者の年譜との比較検討がなされる事もある。破滅型私小説として、花袋、秋江に続く葛西善蔵嘉村礒多太宰治の初期作品、また調和型私小説としては、志賀の弟子筋の瀧井孝作尾崎一雄藤枝静男網野菊などが挙げられる。

批評

小林秀雄は「私小説論」(1935年刊)で、西洋の「私」は社会化されているが、日本の「私」は社会化されていないとし「私小説は死んだ」と説いた。小林の批評は、戦後も長く影響力を保った。他方、19世紀の西洋における本格小説は通俗的であるという観点から、久米正雄は、私小説のみが純文学であると主張し、この通念も長く文壇を支配した。

私小説批判を展開したのは、戦後の中村光夫[2]福永武彦中村真一郎らであり、彼らはフランスのギュスターヴ・フローベールバルザックなどの“客観小説”を模範とした[3]。しかし、中村光夫は後年私小説を書き、文芸批評でもそれを評価した。

伊藤整は、近代小説の根源に作家本人の告白性があると主張した[4]。一方、平野謙は私小説には調和型と破滅型があるという考えを推し進め、実生活と芸術の二律背反による2つのタイプに分けて論じた[5]

  1. 白樺派に基づいた、自己を掘り下げることと自分の生活を調和させる代わりに制作意欲を減退させた調和型心境小説
  2. 自然主義を範とする、芸術のために私生活を破壊せざるを得なかった破滅型私小説

1960年代以降は、丸谷才一篠田一士らの私小説批判が長く続いたため、1980年前後に村上春樹村上龍が登場してからは、ファンタジー・SF風の純文学が隆盛を迎え、私小説は低調となったが、車谷長吉佐伯一麦、21世紀に至り西村賢太などが現れた。一方、批評家の秋山駿は『私小説という人生』で、小谷野敦は『私小説のすすめ』で、それぞれ再評価ののろしを上げている。

海外においても、イルメラ=日地谷・キルシュネライトは、小林の「私小説論」は論理的に読めないと批判し[6]、鈴木登美『語られた自己』は、日本には「私小説言説」があるだけで、私小説がきちんと定義されたことはないと指摘した。実際、夏目漱石の『道草』などは明らかに私小説でありながら、自然主義派ではないという理由で慣例的に否定されてきた。大江健三郎の『個人的な体験』に始まる諸作についても同じことが言える。

「自伝的小説」との区別は曖昧だが、私小説ではない自伝的小説は海外にも見られる。小谷野は鈴木の論を受けて、西洋にもゲーテの『若きウェルテルの悩み』、トルストイの『幼年時代』『少年時代』『青年時代』、レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』、マルセル・プルーストアンドレ・ジッドの『一粒の麦もし死なずば』、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』、ヘンリー・ミラーハンス・カロッサのほぼ全作品など、自身の経験に基づいた小説が多いことを挙げて、「私小説は日本独自のもの」との通説に疑問を投げかけている[7]

実際には、自身の体験に基づいた小説を書かない作家は、安部公房や倉橋由美子などごく少数であり[8]、それ以外は大衆小説になっている(『小説「私小説」』の中で、私小説しか認めない老大家を諷刺した筒井康隆にも『騒春』など自身の体験に基づく小説がある)。また三島由紀夫の『仮面の告白[9]やラディゲの『肉体の悪魔』など、のちの研究で自伝的小説と判明した作品もある。

さらに、トーマス・マンブッデンブローク家の人々』や、島崎藤村夜明け前』、北杜夫楡家の人びと』のように自身の家系を描いたものがある。ほかに、村上春樹『風の歌を聴け』を例にとると、この作品は村上の実体験に基づいているとする分析ができて、推理小説、歴史小説、ファンタジー、SFなどを除いていくと、自伝的でない純文学を見出すのはかなり困難になる。

日本の主な作家・作品

[注]ここでは、単に「自伝的要素が主柱となっているもの」という基準で選別している。表現方法は本来の私小説とはかなり違うものが多い。

脚注

注釈

  1. ^ 『独楽』は随筆と短編小説の境界的な作品[10]

出典

  1. ^ 平野謙『芸術と実生活』大日本雄弁会講談社、1958年
  2. ^ 『風俗小説論』河出書房、1950年
  3. ^ 小谷野敦『私小説のすすめ』平凡社新書
  4. ^ 『小説の方法』
  5. ^ 『芸術と実生活』
  6. ^ 『私小説-自己暴露の儀式』
  7. ^ 『リアリズムの擁護』『私小説のすすめ』
  8. ^ 小谷野敦『私小説のすすめ』平凡社新書による。ただし、これは小谷野の持論であり、安部や倉橋が体験や経験を素材にしなかったかどうかは、本人に確認するしかない。
  9. ^ 式場隆三郎宛の書簡による
  10. ^ 青海健異界からの呼び声――三島由紀夫晩年の心境小説」(愛知女子短期大学 国語国文 1997年3月に掲載)。『三島由紀夫の帰還――青海健評論集』(小沢書店、2000年1月)pp.58-83に所収。

私 (小説)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/17 23:12 UTC 版)

作者 谷崎潤一郎
日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説推理小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出 改造1921年3月号
出版元 改造社
刊本情報
収録 『AとBの話』
出版元 新潮社
出版年月日 1921年10月15日
装幀 水島爾保布
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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』(わたくし[注 1])は、谷崎潤一郎の短編推理小説1921年大正10年)2月[3][4]に書かれて、翌3月に改造社の『改造』誌上で発表された。単行本『AとBの話』(新潮社、1921年10月15日発行)[注 2]に初収録。

概要

本作は、一人称で語られる叙述トリックを扱った推理小説で、同じトリックの先駆的作品として知られているアガサ・クリスティーアクロイド殺し』(1925年7月 - 同年9月夕刊紙に連載、タイトル:Who Killed Ackroyd? )のおよそ4年前に書かれている[注 3]

谷崎自身、『春寒(はるさむ)』[注 4]に「僕は自作の犯罪物では『途上』よりも二三年後[注 5]に発表した『私』と云ふ短編の方に己惚れがある」[8]と自賛している(引用にあたり新字で表記、以下同じ)。

あらすじ

私が一高の寄宿寮にいたころ、「 蝋勉 ろうべん」と称して夜な夜な同室の学生たち(樋口、平田、中村)とおしゃべりをするのが習慣となっていた[注 6]。ある晩、寮内の盗難が話題になった。泥坊は寮生に違いないという話で、廊下を逃げていくときに頭からスッポリ被っていた羽織下り藤の紋附だったということである。私の家紋が下り藤だったため、平田がチラリと私の顔色を窺ったように見えた。平田は私を忌み嫌っており、とくに近頃は私の陰口を言うようになり、そのため私と平田は互いに面白くない気持ちで付き合っていた。平田に疑われていると思った私は動揺し、「すると僕にも嫌疑が懸るぜ」と笑ってしまえばいいか、しかし全員が笑ってくれればいいが平田だけ苦い顔をしたら居心地が悪い、などと様々に考えを巡らせる。そして、今の私は真犯人と同じような煩悶や孤独を味わっているようだと思った。

中村は私に、寮の委員たちは君(主人公の「私」のこと)を疑っているが自分は決して疑っていない、と涙ながらに話す。そして、委員に私が疑わしいと告げ口をした人物について、私の推測に任せると言いながらも、平田であることを仄めかした。さらに聞くところによれば、私の肩を持つ樋口と中村は平田と対立し、平田は今日のうちに寮を出るのだと言う。それを聞いた私は、自分なんかのために君たちが友達をなくすのを見過ごすわけにはいかない、たとえ平田から嫌われていようと自分は彼を自分以上の人物であると尊敬しており彼が寮を出るくらいなら自分が出る、と主張した。結局その日、平田は寮を出て行かず、私もいま寮を出たらますます疑われてしまうため、少し機会を待とうと考えた。しかし、そうこうしているうちに樋口と中村の金銭と洋書も盗まれてしまう。

夜、樋口と中村が図書館に勉強に行き、平田と2人で部屋にいるのがつらい私も図書館に行くか散歩に行くかして部屋にいないようにしていたが、ある晩部屋に戻ってくると平田の姿がなかった。私が平田の机の引き出しから小為替を1枚抜き取り、懐に収めて廊下に出たところを、「ぬすツと!」と平田が私を張り倒す。そして平田は、部屋に戻って来た樋口と中村に私を突き出す。私は、泥坊を友達とした樋口と中村の浅はかさを指摘し、逆にごまかされずに私を疑った平田を称賛するのであった。

登場人物

一高の学生。青白くやせ型で神経質な性格。水呑み百姓枠で奨学金を使ってやっと学校に通えている。貧困学生であることに劣等コンプレックスを抱いている。作中では一人称の「私」によって語られるが、会話文の内容から「私」の名字が「鈴木」であると分かる。
樋口(ひぐち)
一高の学生。某博士の息子。裕福な家庭のお坊ちゃん。
平田(ひらた)
一高の学生。私をひどく嫌っている。頑丈で男性的な肉体の持ち主。
中村(なかむら)
一高の学生。私と同室。夜のおしゃべりに参加している。

解説

谷崎は本作について、「『私』は誰に読まれても恥かしくない作品である」[8]と自信を持って次のとおり記している。

これは自分の今迄の全作品を通じてもすぐれてゐるものの一つと思ふ。犯罪者自身が一人称でシラを切つて話し始めて、最後に至つて自分が犯人であることを明かにする。かう云ふ形式の書き方は伊太利のものにあると云ふことを後に芥川君[注 7]に聞いたけれども僕はそれを真似したのではなく、自分で思ひついたのである。さうしてそれが此の作品では単なる思ひつきでなしに、最も自然な、必須な形式になつてゐる。いたづらに読者を釣らんがための形式でなく、かうすることが此の作品では唯一の方法だつたのである。[8]

鈴木登美は本作の叙述トリックについて、「結末近くで寮内の泥棒は実は「私」であったと明かされるまで、読者は、犯罪の濡れ衣を着せられるという心理的現実を語り手は伝えようとしているのだとすっかり思い込んでしまう」[9]と、その効果を認めている。

三嶋潤子は、本作と同時期の作品、『異端者の悲しみ』(『中央公論』、1917年7月)、『前科者』(『読売新聞』、1918年2月21日 - 同年3月19日)、『AとBの話』(『改造』、1921年8月)などに共通するテーマとして〈悪人の孤独〉を指摘する一方、これらの作品の悪人たちにおいて「彼らの孤独からは、その切実さが十分に伝わってこない」[10]のに対し、本作は探偵小説の形式を借りることにより、「少なくとも「煩悶」「孤独」への共感を、一時的にしろ可能にしている」[11]と、〈悪人の孤独〉を読者に共感させている点で、本作を他の作品よりも上位に位置するものと評している。

収録書籍

単行本

併録作品:「AとBの話」「途上」「不幸な母の話」「倹閲官」「鶴唳」「月の囁き」「蘇東坡」
併録作品:「日本に於けるクリップン事件」「白晝鬼語」「或る罪の動機」「途上」「前科者」「黑白」
  • 短篇集 私』全国書房、1947年3月25日、1-29頁。NDLJP:1135571/6 
併録作品:「馬の糞」「不幸な母の話」「小さな王国」「前科者」「或る調書の一節」「西湖の月」
  • 『前科者――谷崎潤一郎推理小説集』三才社、1951年6月30日、159-183頁。NDLJP:1642660/84 
併録作品:「柳湯の事件」「人面疽」「呪はれた戱曲」「日本に於けるクリップン事件」「或る調書の一節」「前科者」
併録作品:「柳湯の事件」「途上」「白昼鬼語」
併録作品:「柳湯の事件」「途上」「白昼鬼語」
併録作品:「秘密」「前科者」「人面疽」「呪われた戯曲[注 8]」「ハッサン・カンの妖術」「途上」「或る調書の一節」「或る罪の動機」「病褥の幻想」「白昼鬼語」「柳湯の事件」「日本に於けるクリップン事件」
英語版
併録作品:"A Portrait of Shunkin"(春琴抄) "Terror"(恐怖) "The Bridge of Dreams"(夢の浮橋) "The Tattooer"(刺青) "Aguri"(青い花) "A Blind Man's Tale"(盲目物語)

全集・選集

併録作品:「前科者」「柳湯の事件」「呪はれた戯曲」「途上」「或る調書の一節」「或る罪の動機」

脚注

注釈

  1. ^ 作品名の読み仮名「わたくし」は、『短篇集 私』の紙函、表紙(本扉[1])における表記に拠るもの[2]
  2. ^ 箱・表紙・見返し・とびらなどに署名はないが、表紙・見返しなどの絵が水島爾保布画であることから、装幀は水島が担当したと言われている[5]
  3. ^ 渡部直己は『谷崎潤一郎犯罪小説集』(集英社文庫)の解説に「一高の寮内に頻発する窃盗事件を語る当人がじつは犯人であったというこの作品が、同じトリックで名高いアガサ・クリスティー『アクロイド殺人事件』の五年前に書かれている事実を付言しておかねばなるまい」[6]と記載しているが、実際はWho Killed Ackroyd? 第1話掲載の4年5か月前、最終話掲載の4年7か月前に書かれたものであり、渡部直己の「『アクロイド殺人事件』の五年前に書かれている」という表記においては、時間的間隔を端数切り上げにより大ざっぱにとらえた可能性がある。また「五年」という年数から察すれば、渡部の脳裏にあったのはWho Killed Ackroyd?としての執筆時点でなく『アクロイド殺人事件』としての出版時点(1926年)の方で、本来は「出版されている」と表記すべきところを不正確にもそのような意味合いで「書かれている」と記した可能性もある。
  4. ^ 『春寒』は、谷崎が『新青年』誌の1930年(昭和5年)4月号に載せた随筆で、「探偵小説のこと」「渡辺温君のこと」の2つの部分から成る[7]。『新青年』の編集者であった渡辺温は、原稿の依頼で伺った谷崎宅を辞した後、乗っていたタクシーと貨物列車との衝突事故に遭い、亡くなった。
  5. ^ 本作は、実際には『途上』の発表(1920年)の「2、3年後」でなく、翌年に発表された。
  6. ^ 「蝋勉」の本来の意味は、消灯後に蝋燭の明かりで勉強すること。作中ではそれにかこつけて「駄弁を弄する」ことの名目に転用されている。
  7. ^ 芥川龍之介のことである。
  8. ^ 従来の書籍では「呪はれた」と歴史的仮名遣いで記載されているが、本書においては現代仮名遣いに改められている。

出典

  1. ^ 私 1947, 標題.
  2. ^ 全集 2017, p. 530, 解題(五味渕典嗣).
  3. ^ 全集 1931, p. 24.
  4. ^ 全集 2017, p. 241.
  5. ^ 桐原浩 (2022年7月8日). “学芸ノートB版 2022-1「101年前の水島爾保布の仕事①―落選はしたけれど」”. 新潟県立万代島美術館. 2025年6月8日閲覧。橘弘一郎『谷崎潤一郎先生著書総目録 第1巻』ギャラリー吾八、1964年7月24日、40頁。NDLJP:2505918/28。「本書は箱、表紙、見返し、とびらなど署名なきも水島爾保布畫。」 
  6. ^ 渡部直己「解説――「犯罪」としての話法」『谷崎潤一郎犯罪小説集』谷崎潤一郎(著)、集英社〈集英社文庫〉、2007年12月20日、217頁。 
  7. ^ 『谷崎潤一郎全集 第12巻』改造社、1931年10月30日、359-374頁。NDLJP:1226518/188 
  8. ^ a b c 「春寒」『新青年』第11巻第5号、博文館、1930年4月、頁不詳。 
  9. ^ 鈴木登美『語られた自己――日本近代の私小説言説』大内和子・雲和子(訳)、岩波書店、2000年1月26日、214頁。 ※同書はSuzuki, Tomi. Narrating the self: fictions of Japanese modernity, Stanford University Press, 1996. 国立国会図書館書誌ID: 000003244699の日本語版。
  10. ^ 国語国文 2002, p. 30.
  11. ^ 国語国文 2002, p. 31.

参考文献

関連項目

外部リンク


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