かわばた‐やすなり〔かはばた‐〕【川端康成】
川端康成
川端康成
川端康成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)
小説家。戦後の三島の出発の礎を形づくった。三島の『盗賊』創作ノートの端々や、伊東静雄への書簡には、川端に対する尊敬や共感の念が綴られ、〈天狗〉を芸術家の比喩とした随筆では、〈「我師」といふ一句に、川端康成氏の名を当てはめたい誘惑にかられるが、それでは私も天狗の端くれを自ら名乗ることになつて、不遜のそしりを免れまい〉としている。
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川端康成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)
湯ヶ島に来た基次郎に、長期宿泊可能な「湯川屋」を紹介した。『伊豆の踊子』刊行時の校正作業を手伝ってもらった際、「十六歳の日記」を収録すること基次郎は強く勧めた。基次郎の北野中学時代の同級生・小西善次郎が川端の遠い親戚で、同じく同級の黒田伝治が川端の従弟だったという奇縁もあった。川端が一足先に湯ヶ島を発った後も交流は続き、川端の熱海の貸別荘も何度か滞在した。その際、泥棒が川端夫妻の部屋に侵入した時、まだ眠ってなかった川端は、二階の基次郎が降りて来たと勘違いし、奇怪なことをするなと思った。泥棒が寝床の川端と目が合った時、「だめですか」と言って逃げて去ったことと、自分が夫妻の部屋を覗いたと思われた話を、基次郎は友人たちに面白く話してうけた。
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川端康成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 05:48 UTC 版)
1949年(昭和24年)2月から1950年(昭和25年)11月まで、「新文章講座」として雑誌『文藝往来』に連載され、11月10日にあかね書房より『新文章讀本』のタイトルで単行本刊行された。 少年時代から『源氏物語』『枕草子』を音読し親しんできた川端康成は、その「生命ある文章」へのノスタルジーから文章講座の筆をとった。「つねに新しい文章を知ることは、それ自身小説の秘密を知ることである。同時にまた、新しい文章を知ることは、古い文章を正しく理解することであるかも知れぬ」と前書きで記している。 文芸評論家でもあった川端は、多くの作家の文章を引用し、名文の秘密を論じた文章論を展開している。内容は、第1章から第10章までに分かれ、さらに一つの章がいくつかの項目に分けられている。 古典作品以外に引用されている作家は、芥川龍之介、石川淳、宇野浩二、泉鏡花、永井荷風、室生犀星、横光利一、志賀直哉、佐藤春夫、菊池寛、久保田万太郎、田山花袋、フローベール、武者小路実篤などが挙げられる。川端の評論家・随筆家としての気質が発揮されている書である。 なお、向井敏は、川端の文章読本は「別人の代作だそう」とあいまいな伝聞として一言触れているが、伊藤整・瀬沼茂樹との合作だと判明している評論『小説の研究』などは文庫で再版していないのに比し、『新文章讀本』は川端本人の著作として2007年(平成19年)にタチバナ教養文庫で再版されている。川端の『新文章讀本』代作疑惑については丸谷才一も自身の著書『文章読本』中で「代作と言はれてゐる」と記している。
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