パリ‐だいがく【パリ大学】
パリ大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 23:18 UTC 版)
旧パリ大学(仏:Université de Paris)は、かつてフランス共和国のパリに存在した公立大学。
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- ^ “Organisation, Mission - Rectorat et Chancellerie des Universités de Paris” (フランス語). La Chancellerie des Universités de Paris 2018年10月22日閲覧。
- ^ a b 中世から1793年までの旧制パリ大学 (Ancienne université de Paris) の構成は、リベラル・アーツの Faculté des arts de Paris (avant 1793)、3つの上級学部である Faculté de droit de Paris (avant 1793)、Faculté de médecine de Paris (avant 1793)、Faculté de théologie catholique de Paris (avant 1793) となる。
時代を下り、フランス革命期の1793年にこの旧制パリ大学は廃止になる。
また、同時代にわたりコレージュ(学寮やカレッジの意)としてコレージュ・ド・ナヴァル (Collège de Navarre) やコレージュ・ド・ソルボンヌ (Collège de Sorbonne) なども存立していたが、同様にフランス革命期に廃止になる。
皇帝ナポレオン・ボナパルトによるフランス第一帝政期の1808年、パリ大学は新しく5つの学部が割拠独立する形で構成され、1885年まで続いた。
構成は、Faculté de droit de Paris、Faculté des lettres de Paris、Faculté de médecine de Paris、Faculté des sciences de Paris、Faculté de théologie catholique de Paris となる。
さらに Faculté de théologie protestante de Paris が1877年に新たに設けられたが、これは1905年に廃止になった。
1896年7月10日、これらは新制パリ大学 (Nouvelle université de Paris) として再度"パリ大学"の名称を冠して統合された。この新制パリ大学は1970年まで続いた。 - ^ 校名は、パリ5区パンテオン広場 (Place du Panthéon) 界隈と、パリ6区アサス通り (Rue d'Assas) 界隈に校舎があることから名付けられた。また、旧パリ大学の法学部及び経済学部はパリ第2大学が継承しているとされている (フランス語版 Université Panthéon-Assas 及び Faculté de droit de Paris を参照)。人文学部系統の主たる継承は旧パリ第4大学(パリ・ソルボンヌ)になる。
- ^ パリ大学の附属校(ないし学寮、カレッジ)はフランス革命期まで現在のリセ・ルイ=ル=グランや、1999年まで存続したコレージュ・サント=バルブ (fr) も含め数十あったが、同キャトル=ナシオン校は哲学者や啓蒙思想家らが育ったジャンセニスム系の学校でジュール・マザランが設立に関わった学校。コレージュ・ド・マザランとも呼称。ナポレオン・ボナパルトにより現在までフランス学士院が校舎を利用。また、他の同校出身者は上記アントワーヌ・ラヴォアジエ(同校からパリ大学へ)やジャン・ル・ロン・ダランベール(同校からパリ大学で文学や法学等学ぶ)などがいる。
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