川端康成の貸別荘にて
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「ある崖上の感情」の記事における「川端康成の貸別荘にて」の解説
覗き見ということに関連するものとして、基次郎が川端康成から覗き魔と勘違いされるということもあった。それは作品発表から約半年前の1928年(昭和3年)1月3日、湯ヶ島に遊びに来た小西善次郎(北野中学時代の同級生で、川端の親戚)と一緒に、川端の住む熱海の貸別荘に出向いて5日間ほど滞在した時の出来事であった。 その滞在中のある夜、1階の川端夫妻の部屋に泥棒が侵入した。まだ寝床の中で眠ってなかった川端は隣の部屋から物音がした時から異変に気づき、2階の基次郎が降りて来たのだろうかなと思っていた。そしていよいよ泥棒が夫婦の寝室の襖を静かに開けると、川端は基次郎が覗き見に来たと考え、「梶井君は奇怪な事をする」と息をひそめていた。 しかし、川端が暗闇の中でその人物をよく見ると前掛けをした商店小僧だと分かり、鴨居に吊るしてある川端のインパネスのポケットから財布を盗んでいた。そして小僧が枕元の方に来ようとした時に、大きな瞳をぱっちり開いていた寝床の川端と目が合い、ぎょっとしながら「だめですか」と言って、すばやく部屋から出て逃げて行った。 川端はすぐに飛び起きて玄関まで追ったが間に合わず、秀子夫人も異変で目が覚め、加勢を求め2階にいる基次郎を呼ぶが、泥棒が侵入したと知った基次郎は怖くてなかなか階下に下りられなかった。そのため、後で秀子夫人から「梶井さんは臆病ね」と言われ、川端とは泥棒の「だめですか」の捨て台詞を巡って、「実に意味深長の名句なのだらう」と笑い合った。 その後基次郎は湯ヶ島に訪ねて来る友人らにこの一件を笑い話として披露したが、自分が川端から一瞬でも覗き魔と疑われたことが何となく〈たまらなく〉感じた。 それからあの泥棒はどうなりました 友人達に話してみなあの名せりふに吹き出さないものはありませんでしたが はじめ僕だと思つてゐらつしやつてそれがマントを捜し枕元へやつて来、といふところを話すときになると、その「想像的僕」なるものが僕自身随分たまらなく その点は全く人の悪い泥棒だと思ひました — 梶井基次郎「川端秀子宛ての書簡」(昭和3年2月15日付) そして、この覗きをしている〈「想像的僕」なるもの〉が、『ある崖上の感情』の作中で、崖上から人の性行為を覗き見る〈俺の二重人格〉のヒントになって生かされることになった。
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