川端康成と「魔界」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 05:12 UTC 版)
「舞姫 (川端康成)」の記事における「川端康成と「魔界」」の解説
『舞姫』には、のちに川端文学の重要なモチーフとなる「魔界」の元となった一休の言葉、「仏界易入 魔界難入」が用いられ、「仏界と魔界」という独立した章も設けられている。川端は『舞姫』の執筆前あるいは執筆中に、この「仏界、入り易く、魔界、入り難し」という言葉に初めて出会い、強く惹かれて作品の主題にしたものと推測されている。 この一句について川端は『舞姫』の中で、〈日本仏教の感傷や、抒情〉などの〈センチメンタリズム〉をしりぞけた〈きびしい戦ひの言葉かもしれない〉と登場人物に語らせているが、『舞姫』ではそれが自問自答の域を出ずに、登場人物に、それを体現する強いキャラクターの造型がなされないまま終わり、この〈魔界〉のテーマをもう一歩深め、明確になっていくのが、のちの『みづうみ』(1954年)、『眠れる美女』(1960年)、『片腕』(1963年)となる。森本穫はそのことを、「場合によっては作家としての存在そのものを脅かすかもしれない危険にみちた世界」を描いていくことになると表現している。 川端の〈魔界〉の特徴は、禅でいう煩悩の世界、煩悩の諸相を描きながらも、それを自然主義的な方法で暴露としての「悪や醜」と捉えるのではなく、「人間が本然の姿で生きるところに純粋さが存在する」とみて、煩悩に生きる人間が「自己投企」してゆく姿を「美」と捉えたところにあり、煩悩(現実の醜)を「美」に昇華してゆくということが、川端の作家としての方法だと今村潤子は考察している。原善は、「人間存在の原初的な不安や悲しみ」の世界が〈魔界〉であり、それは、「救済を求めつつ果たされぬ、その不可能性を内実としているもの」だと解説している。 川端は、「仏界易入 魔界難入」について次のように語っている。 意味はいろいろに読まれ、またむづかしく考へれば限りないでせうが、「仏界入り易し」につづけて「魔界入り難し」と言ひ加へた、その禅の一休が私の胸に来ます。究極は真・善・美を目ざす芸術家にも「魔界入り難し」の願ひ、恐れの、祈りに通ふ思ひが、表にあらはれ、あるひは裏にひそむのは、運命の必然でありませう。「魔界」なくして「仏界」はありません。そして「魔界」に入る方がむづかしいのです。心弱くてできることではありません。 — 川端康成「美しい日本の私―その序説」
※この「川端康成と「魔界」」の解説は、「舞姫 (川端康成)」の解説の一部です。
「川端康成と「魔界」」を含む「舞姫 (川端康成)」の記事については、「舞姫 (川端康成)」の概要を参照ください。
- 川端康成と「魔界」のページへのリンク