椿八郎(つばき・はちろう)
本名藤森章。1900年(明33)、長野県松本生まれ。慶応大学医学部卒。日本探偵作家クラブの会員章であるポーの指輪は椿八郎が提唱者。
在学中、本名にて正木不如丘主宰の「脈」に小品を発表。
1949年(昭24)、「カメレオン黄金虫」を「宝石」に発表。
1951年(昭26)に「宝石」に発表した「扉」が、1952年(昭27)に第5回探偵作家クラブ賞候補作となる。また、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1952年版」に収録される。
1963年(昭38)、木々高太郎を中心とし、白石潔、鷲尾三郎、氷川瓏らとともに同人誌「詩と小説と評論」を創刊。
1978年(昭53)、日本医科芸術クラブ大賞受賞。
1985年(昭60)、心不全のため死去。
椿八郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/22 03:47 UTC 版)
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椿 八郎(つばき はちろう、1900年4月18日 - 1985年1月27日)は、日本の作家。眼科医。本名は藤森 章。
経歴
長野県東筑摩郡松本町(現松本市)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を経て、慶應義塾大学医学部卒業後、1925年同大眼科教室助手となった。その後は満鉄長春医院眼科医長、満鉄撫順医院眼科医長を歴任。
「テノン氏嚢の研究」「ミュッレル氏筋の研究」など眼科研究論文を発表。
大学在学中、本名で正木不如丘主宰の同人誌『脈』に小品を発表。1949年『宝石』に「カメレオン黄金虫」を発表し推理小説作家として登場した。1951年に『宝石』に発表した「扉」が翌年の第5回探偵作家クラブ賞候補作となる。1963年、木々高太郎、白石潔らとともに同人誌『詩と小説と評論』を創刊。1978年、日本医科芸術クラブ大賞受賞。
日本探偵作家クラブの会員章である「ポーの指輪」の提唱者、佐藤春夫の「火眼記」のモデルでもある。
主な作品
- 手を洗ふ 1944
- カメレオン黄金虫 1949
- 贋造犯人 1950
- 扉 1951
- 朧月夜と運転手 1953
- 随筆鼠の王様 1969
- 「南方の火」のころ 1977
参考文献
- 中島河太郎『椿八郎作品目録』
- 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年
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