本郷元町カフェ・エランの女給へとは? わかりやすく解説

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本郷元町カフェ・エランの女給へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:36 UTC 版)

伊藤初代」の記事における「本郷元町カフェ・エランの女給へ」の解説

初代芸者置屋の子守などをする中、19歳年上元吉原娼妓山田ますと知り合った山田ますは東京市本郷区本郷元2丁目壱岐坂(現・文京区本郷3丁目)のカフェ・エランを経営しマダムをしていた。カフェ・エランは、ますが夫・平出実(平出修義理の甥)と一緒に開店した店で、平井修の親戚やっているという縁で、谷崎潤一郎佐藤春夫なども訪れたとされ、店の壁には、平出実が支援していた東郷青児の絵が飾られていたという。 「エラン」(Elan)は、フランス語で、「感激高揚活力情熱」などの意味があり、「飛翔の意味から、与謝野鉄幹あるいは与謝野晶子名付けたとされる。店は主義者たちのアジト役割もしており、平出実の知人徳田球一井之口政雄百瀬二郎、折井仲三郎らも来ていた。しかし店を開いて1年経った頃、夫・平出実が店の女給・おしげ(本名繁野)と駆け落ちしてしまい、傷心のますは百瀬二郎励まされ、一旦閉めた店を続けていた。 初代は、そんなカフェ・エランに1918年大正7年以前から引き取られて、女給として働くようになり、親切な山田ますを「おばさん」と呼び慕っていた。その頃初代は、本郷弓町坪井写真館撮られ自分写真12歳時の姉さまかぶりのたすき掛けポーズや、13歳桃割れ髪型姿)を郷里の父・忠吉宛てに「父上様」と付して送っていたが、それ以前の幼い2枚発見されており、初代が父と別れてから毎年自分写真送っていたことが確認されている。 女手一つで店を切り盛りしていた山田ますは、無学であったため会計事務に不安があり、百瀬が折井仲三郎頼み慶應義塾大学医学部予科通っていた藤森章(椿八郎)が帳簿付の学生として1920年大正9年4月から雇われ出した椿は店の二階下宿し学校持参する弁当や、紅茶ケーキのおやつ付の待遇で3か月余りいた。 カフェ・エランはカフェとは名ばかりミルクホールのような店で、テーブル4、5脚とカウンターだけの簡素家庭的な雰囲気であった店員マダムのますと初代と、もう1人田舎くさい女給の3人だったが、夏頃からコック見習少年と、2人女給増えた椿八郎回想している。髪を日本髪桃割れ)に結い和服に白いエプロン姿接客する初代は、ますの秘蔵っ子として育てられ可愛さ引き立てるように飾り立てて店に出されていた。

※この「本郷元町カフェ・エランの女給へ」の解説は、「伊藤初代」の解説の一部です。
「本郷元町カフェ・エランの女給へ」を含む「伊藤初代」の記事については、「伊藤初代」の概要を参照ください。

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