しょう‐ぎ〔シヤウ‐〕【×娼×妓/×倡×妓】
遊女
娼妓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 02:56 UTC 版)
稲川勝次郎「中村旭廓遊女鑑」『歓楽の名古屋』趣味春秋社(1937年)から集計した昭和12年当時の人口ピラミッドによると、娼妓の年齢幅は19~38歳で確認できる。総人口は2000人を越えている。人口ピラミッドの型としては、女性のみの就業期人口のみが集まる特異な都市型と位置づけられる。しかしながら22歳を人口の頂点として、年齢を重ねるに従い、急激に数を減らしている形は富士山型に通ずるものがある。富士山型は多産多死の途上国にみられる型であり、中村遊郭の場合も、若年層の娼妓を中心として発展を続けてきたが、娼妓は長く郭内に居つかず、すぐ辞めていく傾向が強かったことの反映と考えられる。一方で、最年少の19歳が20歳に比べ極端に少ないのは、郭側が極端な低年齢層への雇用を控えていたこと、プロの娼妓として客前に出るまで入郭後ある程度の教育期間が必要だったことの反映との見方ができる。一方、22歳に比べ、20歳・21歳が少ないのは、同様の理由によるものか、既にこの時点で中村遊廓の若年層による発展にかげりが現れ出したことの反映なのかは、前後の年代の資料がないためはっきりしない。 中村遊廓成立当時は既に、芸娼妓解放令が出されて久しかったが、内規などで娼妓たちは大門から外への自由な外出ができなかった。外出ができないため、必要な物品は、娼家経営者経由で買わざるを得なかった。その一方で、太平洋戦争の戦後の一時期をのぞいて、白飯での食事が保証され、それだけで貧しい育ちの娘たちを集めることができたという。
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「娼妓」の例文・使い方・用例・文例
- 情死は娼妓間にありがちだ
- 情死は娼妓間に多い
- 心中は娼妓間に往々ある
- 芸者や娼妓を抱えて置く,置き屋という商売
- 芸者や娼妓を抱えて置く,置き屋という商売の家
- 芸娼妓を呼んで遊ぶときの代金
- 芸者や娼妓をよんで遊ぶための代金
- 抱えの芸娼妓
- 娼妓の容姿
- 芸娼妓になること
- 芸娼妓が客席に出た時間をはかる線香の台
- 娼妓の群れ
- 芸妓と娼妓を兼ねること
- 娼家の屋号にちなむ名を持つ娼妓
- 屋号にちなんだ娼妓の名
- 同じ芸者や娼妓を,二度目にきたときにまた呼ぶこと
- 芸娼妓などを抱える主人
- 芸妓と娼妓
- 引き祝いという,芸娼妓が身請けされて廃業するのを披露する祝い
- 置屋がかかえている芸娼妓
娼妓と同じ種類の言葉
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