足利氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/16 22:04 UTC 版)
足利氏(あしかがし)は、日本の武家のひとつの軍事貴族。本姓は源氏。家系は清和天皇清和源氏の一族の河内源氏の流れを汲み、鎌倉幕府においては御家人であると同時に将軍家一門たる御門葉の地位にあった。室町時代には嫡流が足利将軍家として天下人となった。藤原秀郷の子孫の藤原姓足利氏(藤姓足利氏)に対して源姓足利氏という場合がある。
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- ^ 前田治幸、「鎌倉幕府家格秩序における足利氏」、阿部猛編 『中世政治史の研究』 日本史史料研究会、2010年。/所収:田中 2013, p. 179 - 228
- ^ a b 田中 2013, p. 25, 「総論 中世前期下野足利氏論」
- ^ a b c d 田中 2013, p. 67, 臼井信義 「尊氏の父祖 ―頼氏・家時年代考―」
- ^ 田中 2013, p. 68, 臼井信義 「尊氏の父祖 ―頼氏・家時年代考―」
- ^ 田中 2013, p. 69, 臼井信義 「尊氏の父祖 ―頼氏・家時年代考―」.
- ^ 田中 2013, p. 133, 小谷俊彦「北条氏の専制政治と足利氏」内の「足利・北条両氏関係系図」.
- ^ 田中 2013, p. 131, 小谷俊彦「北条氏の専制政治と足利氏」。年代を考慮すれば北条時宗から下賜されたものと思われる。
- ^ 今川氏は2代基氏の子の代から、三河国幡豆郡今川荘より遠江国引間荘へ移住している。
- ^ 『難太平記』によれば、2代将軍である義詮の時代になっても「我等が先祖は当御所(足利将軍)には兄の流のよし」と主張して義詮に自らの家系図を示して自家の優位を主張する者がいたという。
- ^ 市沢哲「『難太平記』二つの歴史的射程-室町初期の『平家物語』を考えるために」、『文学』第3巻第4号、2002年。/所収:市沢哲 『日本中世公家政治史の研究』 校倉書房、2011年。
- ^ 斯波詮教の三男。
- ^ 伊予大洲藩主・加藤泰衑の長男。
- ^ 足利一門/肥後宇土藩一門・細川定良(藩主・細川興文の四男・細川孝応の次男)の長男。
- ^ 足利一門/肥後熊本藩主・細川斉護の六男。
- ^ 常陸水戸藩主・徳川斉昭の十一男。
- ^ “企画展 さくら市の歴史と文化 喜連川のお殿さま”. さくら市ミュージアム 荒井寛方記念館. さくら市 (2017年11月9日). 2017年11月25日閲覧。
- ^ 惇氏の弟・宜麿の長男。
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