足利荘
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足利荘(あしかがのしょう)は、下野国足利郡(栃木県足利市)にあった荘園。荘域は足利郡全域と安蘇郡の一部(赤見郷)。成立当初の田畑、約100町ずつからなる。『延喜式』には下野国足利駅、『和名類聚抄』では足利郡駅家郷と記されている。
- ^ 但し近年では、足利荘は源義家から源氏惣領である源為義、源義朝、源頼朝へと伝えられ、源姓足利氏が足利荘を支配するのは治承・寿永の乱後とする研究もある。(久保田順一『中世武士選書18 新田義重 北関東の治承・寿永内乱』戎光祥出版 2013年11月1日 ISBN 978-4-86403-094-6)
- ^ 田中大喜「中世前期下野足利氏論」 田中編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第九巻 下野足利氏』(戒光祥出版、2013年)ISBN 978-4-86403-070-0
- ^ 足利持氏より1字を受け結城合戦で滅んだ木戸持季の祖父。野田氏と同族。
- ^ 「鑁阿寺文書」408号。
- ^ 『看聞御記』応永30年11月28日条・『満済准后日記』応永31年7月23日条。
- ^ 江田郁夫「南北朝・室町時代の足利荘について」(『室町幕府東国支配の研究』(高志書店、2008年) ISBN 978-4-86215-050-9 第Ⅱ編付論三)
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