足利持氏とは? わかりやすく解説

あしかが‐もちうじ〔‐もちうぢ〕【足利持氏】

読み方:あしかがもちうじ

[1398〜1439]室町前期武将鎌倉公方(くぼう)。永享10年(1438)関東管領上杉憲実(うえすぎのりざね)と対立幕府軍戦って敗れ鎌倉自刃。→永享の乱

足利持氏の画像

足利持氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 15:03 UTC 版)

足利 持氏(あしかが もちうじ)は、室町時代の武将。第4代鎌倉公方(在職:1409年 - 1439年)。第3代鎌倉公方・足利満兼の子[3]


注釈

  1. ^ 足利義満の子・義嗣の次男である一色直明の娘とされる。一色氏久の項も参照のこと。
  2. ^ 記録上持氏の妻は簗田河内守の娘しか伝えられていないが、鎌倉公方には守護大名もしくは足利一門出身の正妻もしくは上﨟󠄀(簗田氏出身よりも格上の妻妾)が存在したと考えるのが自然であり、義久の生母は記録が喪われた正妻もしくは上臈であったと推測される[6]
  3. ^ 『古河公方系図』では、簗田河内守の娘が春王丸の母とされているが、長塚孝は結城合戦の際に安王丸が兄を差し置いて主将に担がれ、かつ簗田一族がこれを補佐していることを指摘して、安王丸の母の誤りである可能性が高いとする。また、成氏(万寿王丸)の母が簗田満助(助良)の姪であるとして、河内守の娘と満助の姪が同一人物、すなわち安王丸と成氏が同母兄弟であった可能性を指摘している[6]

出典

  1. ^ a b c コトバンク_足利持氏とは より。
  2. ^ a b c d e f g 足利持氏より。
  3. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 31頁。
  4. ^ 亀田俊和「鎌倉府施行システムの形成と展開」『ヒストリア』214号、2009年。 のちに亀田俊和「鎌倉府施行状の形成と展開」『室町幕府管領施行システムの研究』思文閣出版、2013年。ISBN 978-4-7842-1675-8 と改題
  5. ^ 『喜連川判鑑』では永享10年時点で義久は既に死亡していたとも
  6. ^ a b 長塚孝「総論 足利成氏論」長塚孝 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第三三巻 足利成氏』(戒光祥出版、2022年)ISBN 978-4-86403-421-0 P9-12.
  7. ^ 長塚孝「鎌倉府奉公衆の一過程―簗田氏の動向を素材として―」『葦のみち』15号、2003年。
  8. ^ 早稲田大学図書館所蔵『三浦家文書』所収「三浦十左衛門家系図」。
  9. ^ こちらを参照。
  10. ^ 詳しくは、社家の姓氏-大伴氏-(外部リンク)を参照。
  11. ^ 「大伴神主家系譜集」『鶴岡叢書』 第1輯、鶴岡八幡宮社務所、1976年。 


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