幕府軍とは? わかりやすく解説

幕府陸軍

(幕府軍 から転送)

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幕府陸軍(ばくふりくぐん)は、幕末江戸幕府が整備した陸上戦闘を任務とした西洋式軍備の陸軍である。文久2年(1860年)、幕府の軍制改革で対外防衛と国内体制維持を目的として創設された。長州征討天狗党の乱などで実戦を経験し、大政奉還により幕府が消滅した後も所属部隊の多くが戊辰戦争で戦闘を続けた。幕府陸軍に対して海上任務を想定した幕府海軍も存在しており、これらをまとめて幕府軍と呼称する場合が多い。




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幕府軍

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島原の乱」の記事における「幕府軍」の解説

幕府派遣上使 - 板倉重昌軍勢 800著名な従軍者:柳生清厳上使 - 松平信綱軍勢 1500 副使目付)- 石谷貞清 副使 - 戸田氏鉄軍勢 2500 諸大名備後国備後福山藩 - 総大将 水野勝成大将 水野勝俊(勝成嫡男)・大将 水野勝貞(勝俊嫡男)、軍勢 5600(西国鎮衛の役目と勝成の戦歴考慮され九州以外からの唯一の参陣) 筑前国福岡藩 - 総大将 黒田忠之軍勢 1万8000著名な従軍者:黒田一成筑後国久留米藩 - 総大将 有馬豊氏軍勢 8300(著名な従軍者:稲次重知柳河藩 - 総大将 立花宗茂大将 立花忠茂宗茂養嗣子)、軍勢 5500(著名な従軍者:立花政俊安東省菴肥前国島原藩 - 総大将 松倉勝家軍勢 2500 唐津藩 - 総大将 寺沢堅高軍勢 7570 佐賀藩 - 総大将 鍋島勝茂軍勢 35000 肥後国熊本藩 - 総大将 細川忠利軍勢 2万3500 日向国延岡藩 - 総大将 有馬直純軍勢 3300 豊前国小倉藩 - 総大将 小笠原忠真軍勢 6000著名な従軍者:宮本伊織高田吉次中津藩 - 総大将 小笠原長次軍勢 2500著名な従軍者:宮本武蔵豊後国豊後高田藩 - 総大将 松平重直軍勢 1500 薩摩国薩摩藩 - 総大将 山田有栄島津家家老)、軍勢 1000 その他 - 800諸藩記録には藩主大名出陣はないものの、使者名目で北は仙台藩から南と西は土佐藩長州藩など九州以外の多くの藩からも鉄砲隊水軍など少数ではあるが、武装した兵が名代将に率いられ派遣され一揆勢と交戦して将兵死傷したことも記録されている。 幕府討伐軍側は総勢13近くの軍を動員死傷者数諸説あるが、『島原記』には死者1130・負傷者6960、『有馬一件』には死者2800・負傷者7700、『オランダ商館長日記』には士卒8のうち死者5712と記されている。

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幕府軍

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決戦III」の記事における「幕府軍」の解説

足利義昭(声:飛田展男室町幕府最後将軍乗り軽く愚昧印象を受けるが、幕府再興夢にかける執念は凄まじい。信長は彼を奉じて上洛するが、将軍権威利用する信長快く思わなくなり敵対し幕府軍を率いて挙兵するが、逆に京から追放される。だが、中国毛利四国長宗我部九州島津、さらにイスパニアペドロ力を借りてあくまでも信長抵抗し続ける。 一色藤長(声:増谷康紀義昭側近。主に軍略担当する幕府再興のため尽力し、そのためには手段を選ばない本能寺の変後、かつての信長同様、義昭軽んじる光秀御所の獄に幽閉し、幕府軍の兵権を握るが、自力脱出した光秀によって「君側の奸」として斬り殺される細川藤孝(声:増谷康紀義昭側近幕臣の中では唯一義昭諫言できる人物京言葉特徴一時義昭見限って幕府軍から離れるが……。 明智光秀(声:緑川光) かつて斎藤道三仕え帰蝶傅役務めていた。「織田白鷹」と呼ばれ銃(短筒)を使う知将4章の京入り織田軍に加入する史実通り本能寺襲って信長裏切った。このゲーム最大の敵である。ちなみに幽閉されていたときは無精ヒゲ生えていた。兵種鉄砲足軽武将系統は「万能」。

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幕府軍

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アンゴルモア 元寇合戦記」の記事における「幕府軍」の解説

少弐景資しょうに かげすけ) 声 - 立花慎之介 元寇際し大将軍として九州御家人達の指揮にあたる。蒙古軍襲来直前対馬訪れ、迅三郎援軍を送ると約束したが、父の資能の妨害失敗した少弐資能しょうに すけよし) 声 - 稲葉実 息子の景資が対馬援軍を送るのを妨害する少弐経資しょうに つねすけ) 少弐家嫡男。景資の兄。景資と三日毎に交代する手筈で息浜に赴くが、景資の方が向いていると判断した資能の命で繰り上げ交代し筥崎守備に就く。 千葉頼胤(ちば よりたね) 御家人足場が悪い事を理由に、赤坂山奪還への出陣拒む宇都宮道房うつのみや みちふさ) 御家人。他の将と共に赤坂山奪還への出陣拒む小代重泰しょうだい しげやす) 御家人。他の将と共に赤坂山奪還への出陣拒む。迅三郎顔見知りで、息浜合戦前に蒙古武器戦法談義をした。 島津忠宗(しまず ただむね) 御家人貴族然とした男。諸将鳥飼潟に出陣した際も息浜に残っていた。 大友頼康おおとも よりやす少弐家同格予備総大将少弐家筥崎での利権争いをしており、大友勢に対抗するために少弐家全軍動かせいでいる菊池武房(きくち たけふさ) 肥後御家人要衝である赤坂山占領されても動こうとしない関東勢業を煮やし手勢100騎(歩騎合わせて300)を率いて赤坂山強襲し奪還する竹崎季長たけざき すえなが肥後御家人。後に蒙古襲来絵詞作る人物小名として一括りにされる零細御家人だが、赤貧でも武具売らず、有力御家人旗下にも入らず独立した一家として己の旗を掲げて戦う事を望んでいた。戦功挙げるため、僅か5人の主従先駆け願い出総大将景資から強引に許可を取る。 思うよう御家人動かせずにいた景資は、季長の先駆け認めることで、他の御家人功名心火をつける事に成功した白石通泰しらいし みちやす) 肥前御家人。季長の先駆け触発され諸将の中で真っ先出陣した。季長に続いて鳥飼潟に突入してっぽう攻撃危機陥った季長を救う。 大蔵太子おおくら ふとこ) 肥後御家人素肌胴丸着込んだ武者天草太夫称し女性ながら大蔵氏惣領として水軍率いる。 博多に向かう途中で弟の種資の消息訪ねて壱岐立ち寄り、元のはぐれ軍船襲撃した際に密航していた迅三郎出会うその後壱岐守護代の娘ゴジョウ保護した事で、種資がなんの縁も無い壱岐一所守って死んだ事を知る。 迅三郎らを連れて博多渡り、息浜の防衛戦では水軍で元の兵員輸送船襲撃する大蔵種資おおくら たねすけ) 天草太夫の弟。壱岐守護代平景隆仕えている。景隆より城内女子供任され深手負いながらも景隆の娘ゴジョウ逃がしたが、自らは力尽きる

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幕府軍

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桃井春蔵」の記事における「幕府軍」の解説

慶応3年1867年)、幕府軍の遊撃隊頭取並に任じられ将軍徳川慶喜の上洛に警護役として同行大坂玉造臨時講武所剣術師範となる。しかし同年大坂城での軍議戊辰戦争開戦反対し、開戦派の幕府軍人と対立して幕府軍を離脱。幕府軍人に命を狙われることとなり、士学館高弟数名とともに大雪の夜、南河内の幸院という寺に落ち延びる。 翌慶応4年1月3日1868年1月27日)に鳥羽・伏見の戦い開戦。幕軍は敗れ大坂城炎上し、京坂は官軍占領された。同年5月幕府から桃井彰義隊への入隊勧誘があったが、これを断り逆に官軍からの要請川崎東照宮建国寺)境内(現・大阪市北区天満 滝川小学校所在地)に道場を建て、大坂治安維持に当たる薩摩長州芸州の兵に撃剣指導した

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幕府軍

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AMAKUSA1637」の記事における「幕府軍」の解説

徳川家光とくがわ いえみつ三代将軍柳生十兵衛やぎゅう じゅうべえ家光から天草不穏分子を「取るに足りない者なら殺せ」と命じられる家光から自由になりたいと心のどこかで思っている。 板倉重昌いたくら しげまさ) 幕府軍総帥小笠原忠真おがさわら ただざね) 豊前小倉藩主。母親家康の孫に当たる。

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