林忠崇
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林 忠崇(はやし ただたか、嘉永元年7月28日〈1848年8月26日〉- 昭和16年〈1941年〉1月22日)は、江戸時代末期(幕末)の大名。上総国請西藩の第3代藩主。
注釈
- ^ 会津松平家も会津戦争後に会津藩を没収されたが松平容大が新たに斗南藩3万石を下賜されたため[1]、林忠崇が唯一改易された大名となった。
- ^ 林氏は唐津藩主・小笠原氏の遠縁の分家であるため。
- ^ それまでも再三、遠縁の小笠原氏を巻き込んで、旧家臣らによる家名復興運動が行われていた。退けられてきた主な理由は朝敵云々ではなく、華族としての体面が保てるかどうかの経済的理由であった。当時、旧大名家華族の破産が問題視されていた。
- ^ 江戸時代に幕府旗本および請西藩主だった林家当主が叙されていた従五位下に相当する。
- ^ 版籍奉還後に近江大溝藩知事となった分部光謙(昭和19年没)を「最後の大名」と見なす説もある。
出典
- ^ 「松平容保城地ヲ没シ実子慶三郎ニ高三万石ヲ賜ヒ華族ニ列ス」 アジア歴史資料センター Ref.A15071356400
- ^ 『木更津市史』p280
- ^ “真武根陣屋遺址の概要”. 木更津市. 2020年2月7日閲覧。
- ^ 『殿様は「明治」をどう生きたのか』p.35
- ^ 東京商人と一手積特約 函館市史
- ^ 『殿様は「明治」をどう生きたのか』p.43-44
- ^ 『殿様は「明治」をどう生きたのか』p.45
- ^ 『殿様は「明治」をどう生きたのか』p.46
- ^ 『『官報』叙任及辞令、明治27年2月21日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2024年1月14日閲覧。
- ^ 『『官報』宮廷録事、大正6年1月22日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2024年1月14日閲覧。
- ^ 『『官報』宮廷録事、昭和12年1月16日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2024年1月14日閲覧。
- ^ 歴史秘話ヒストリアNHK
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