松平氏とは? わかりやすく解説

松平氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/21 06:17 UTC 版)

松平氏(まつだいらし)[注釈 1]は、武家華族だった日本氏族室町時代三河国加茂郡松平郷愛知県豊田市松平町)に興った小豪族だったが、戦国時代末期の当主松平家康徳川氏に改姓し、その嫡流江戸幕府征夷大将軍となった。江戸時代に松平氏を称した家には3種あり、三河時代の分流、徳川将軍家庶流から分家した親藩御連枝、将軍より特に松平姓を与えられた非一族の大名家がある[1]鳥羽・伏見の戦いにより徳川慶喜朝敵となったのを受けて非一族全家が復姓命令に従い、松平姓を廃棄して本姓に復し、分流の一部も改姓した[2]明治以降、松平氏からは29家が華族に列した(侯爵家1家、伯爵家3家、子爵家23家、男爵家2家)[3]


注釈

  1. ^ もともとは松本氏と呼ばれたという(丹羽 1990, pp. 76–77)。
  2. ^ 谷口雄太は、「新田氏流」という概念は軍記物の『太平記』によって生み出された概念で同時代(室町・戦国期)の武家故実の文献などでは全て新田氏足利氏の支流となっていることを指摘し、世良田氏得川氏も足利氏の支流と定義するのが正しく、家康もそうした理解をしていたとする[4]
  3. ^ 岩津進出は泰親のときという説もある。
  4. ^ 松平宗家である安祥松平家、すなわち後の徳川宗家も含む。
  5. ^ 菅原正子は、『山科家礼記』の記述を元に当時の菅浦は公家である裏松日野家領であり、益親もその家臣代官であったとする(菅原 1998, pp. 175–178)。
  6. ^ 「徳川家譜」(『好古類纂』収録)によれば益親は2代泰親の子だとされる。
  7. ^ 徳川将軍家の直接の祖先となる安祥家(安城家)を例外として、松平諸家では江戸時代に入るまでその祖先に対する意識が希薄で、岩津・安祥(安城)両松平家との関係についてきちんと記録を残していない家もあったのではないか[7]、また岩津・安祥(安城)両松平家との対立があったとしてもその事実を隠した可能性もある[8]とする指摘もある。
  8. ^ 現在、井田町との境に近い鴨田町字向山の西光寺の境内に「井田野古戦場」の看板が建っている[11]
  9. ^ この当時伊勢宗端は既に伊豆一国を平定し、相模小田原城も奪取していたが、甥である今川氏親の親族・重臣としても活動していた。なお、「北条」を名乗るのは息子の北条氏綱の代からである。

出典

  1. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『松平氏』 - コトバンク
  2. ^ a b 井戸田 1985, p. 41.
  3. ^ a b c 小田部雄次 2006, p. 322 - 364.
  4. ^ 谷口雄太「足利一門再考 : 「足利的秩序」とその崩壊」『史学雑誌』第122巻第12号、史学会、2013年、2019-2042頁、CRID 1390001205138517120doi:10.24471/shigaku.122.12_2019ISSN 00182478 
    【所収】谷口雄太『中世足利氏の血統と権威』 東京大学〈博士(文学) 甲第35345号〉、2018年。doi:10.15083/0002001510NAID 500001483395https://doi.org/10.15083/0002001510 
    博士論文を書籍化:中世足利氏の血統と権威』2019年11月、184-191,202頁。ISBN 9784642029582全国書誌番号:23293931https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029998532-00 
  5. ^ 『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』、清水克行2021年(令和3年)6月発行、新潮社、P71
  6. ^ 柴裕之 編『シリーズ・織豊大名の研究 第十巻 徳川家康』(戎光祥出版、2021年(令和3年)) ISBN 978-4-86403-407-4 柴裕之「総論 戦国・織豊期の徳川家康の動向と研究」P11.
  7. ^ (村岡幹生 2008, p. 47)。後、書籍化 (村岡幹生 2023, p. 49)
  8. ^ (村岡幹生 2008, p. 56-57)。後、書籍化 (村岡幹生 2023, p. 66-68)
  9. ^ 平野 2002, pp. 97–101, §. 信光の妻子.
  10. ^ 岡崎市 2017, p. 40.
  11. ^ 井田野古戦場”. 岡崎おでかけナビ. 岡崎市観光協会. 2023年3月9日閲覧。
  12. ^ 大樹寺の歴史, p. 14.
  13. ^ 佐々木洋之「大樹寺の成立過程について : 大樹寺と松平親忠」『印度學佛教學研究』第18巻第1号、日本印度学仏教学会、1969年、331-333頁、CRID 1390001205376848256doi:10.4259/ibk.18.331ISSN 0019-4344 
  14. ^ 岡崎市 2017, p. 79.
  15. ^ kotobank-松平清康, 世界大百科事典 第2版.
  16. ^ kotobank-松平清康, 日本大百科全書(ニッポニカ).
  17. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『徳川氏』 - コトバンク
  18. ^ 村川 2000, p. [要ページ番号].
  19. ^ 井戸田 1985, p. 47.
  20. ^ 新田完三 1984, p. 327.
  21. ^ 世界大百科事典『桜井氏』 - コトバンク
  22. ^ 朝日日本歴史人物事典『大給恒』 - コトバンク
  23. ^ 新田完三 1984, p. 891.
  24. ^ a b 浅見雅男 1994, p. 123.
  25. ^ 小田部雄次 2006, p. 326.
  26. ^ 小田部雄次 2006, p. 64.
  27. ^ 松田敬之 2015, p. 689.
  28. ^ a b 笠谷 1997, p. 36.
  29. ^ 小和田 1994, §. 松平清康.
  30. ^ 静岡県 1994, p. 1102.
  31. ^ 愛知県 2003, p. 61.
  32. ^ a b 笠谷 1997, p. 40.
  33. ^ 笠谷 1997, p. 38.
  34. ^ 笠谷 1997, p. 34.
  35. ^ 笠谷 1997, p. 39.
  36. ^ 笠谷 1997, p. 35.
  37. ^ 米田 1994, p. [要ページ番号].
  38. ^ 笠谷 1997, p. 46.
  39. ^ a b c d ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『久松氏』 - コトバンク
  40. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『奥平氏』 - コトバンク
  41. ^ 新田完三 1984, p. 888.
  42. ^ 村川 2000, §. 松平氏下賜の授受具体像と基本的性格.
  43. ^ 三田村 1997, p. [要ページ番号].
  44. ^ a b 新田完三 1984, p. 770.
  45. ^ 新田完三 1984, p. 147.
  46. ^ 新田完三 1984, p. 326.
  47. ^ 新田完三 1984, p. 823.
  48. ^ 新田完三 1984, p. 227.
  49. ^ 新田完三 1984, p. 433.
  50. ^ 新田完三 1984, p. 870.
  51. ^ 新田完三 1984, p. 170.
  52. ^ 新田完三 1984, p. 318.
  53. ^ 新田完三 1984, p. 722.
  54. ^ 新田完三 1984, p. 559.
  55. ^ 新田完三 1984, p. 210.
  56. ^ a b 新田完三 1984, p. 704.
  57. ^ 新田完三 1984, p. 577.
  58. ^ 新田完三 1984, p. 352.
  59. ^ 新田完三 1984, p. 567.
  60. ^ 新田完三 1984, p. 730.






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