了暁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/15 08:13 UTC 版)
了暁(りょうぎょう)は、室町時代後期の浄土宗の僧侶。聖蓮社慶善(しょうれんしゃ けいぜん)と称される[1]。
人物・経歴
和泉国出身[2]。15世紀後半に活動したとされるが、正確な生没年は不明[1]。聖冏流白旗派の聖聡に師事し、『教相切紙拾遺徹』への加筆や白旗の口伝の整理を通じて教学を継承した[1]。文明9年(1477年)までに良肇の後任として下総国弘経寺2世となり[1][1][3]、白旗派の教線拡大に尽力し、のちに弟子の酉冏に寺務を譲った[2][3]。三河国大運寺(現・大恩寺)の創建者としても知られる[2]。
主な活動
- 1444年(文安元年)頃 - 荒廃していた新宮山浄光院を再興し、浄土宗寺院大運寺(後の大恩寺)を創建[4]
- 1477年(文明年) - 弘経寺を酉冏に譲り、三河国に進出[1]
- 1493年(明応2年)- 後土御門天皇から紫衣勅許を受ける[3]
- 1490年(延徳2年) - 弟子の訓公が大運寺を御津山に移転(松平親忠の支援による)[2]
思想・業績
徳川家との関係構築
創建した大恩寺は松平親忠・松平広忠父子の庇護を受け、弟子の愚底が大樹寺を開山。後の徳川将軍家と浄土宗の結びつきの礎を築いた[5]。
中央教団への影響
珠琳(知恩院22世)、愚底(同23世)、訓公(同24世)、存牛(同25世)らを輩出し、白旗派が応仁の乱後の浄土宗本山再興を主導[3][6]。
主な門弟
関連寺院
脚注
関連項目
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