弘経寺_(常総市)とは? わかりやすく解説

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弘経寺 (常総市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 07:24 UTC 版)

弘経寺(ぐぎょうじ)
所在地 茨城県常総市豊岡町甲1
位置 北緯36度02分36.5秒 東経139度58分34.1秒 / 北緯36.043472度 東経139.976139度 / 36.043472; 139.976139座標: 北緯36度02分36.5秒 東経139度58分34.1秒 / 北緯36.043472度 東経139.976139度 / 36.043472; 139.976139
山号 寿亀山
(壽龜山)
院号 天樹院
宗旨 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
正式名 壽龜山天樹院弘經寺
(寿亀山天樹院弘経寺
法人番号 1050005009353
弘経寺
弘経寺 (茨城県)
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弘経寺(ぐぎょうじ)は、茨城県常総市豊岡町甲にある浄土宗の寺院。山号は寿亀山。院号は天樹院。本尊は阿弥陀如来

由緒

応永年間21年(1414年)、名越流北条氏一族の出で、増上寺開山聖聡弟子だった嘆誉良肇(りょうちょう)の開山により下総国岡田郡飯沼村(現在の茨城県常総市)に創建された。

良肇により僧侶の教育に力が入れられ、二世の松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺開山了暁(りょうぎょう)慶善、弘経寺三世の曜誉酉冏(ゆうげい)、徳川将軍家菩提寺大樹寺開山の勢誉愚底(ぐてい)、知恩院22世周誉珠琳(しゅりん)、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺開山釋誉存冏(そんげい)などが輩出された[1][2]

のち、北条氏と争っていた下妻城多賀谷重経の陣が寺内に置かれ、戦禍により荒廃するが、徳川家康次男結城秀康の開基で、結城弘経寺(茨城県結城市)が再建された[3]

家康からも信仰されていた10世了学により再興され、江戸期には浄土宗の檀林がおかれた。了学から五重相伝を受けた千姫から本堂の寄進もなされた[2]

文化財

  • 市指定文化財
  • 市指定史跡
    • 千姫の墓
  • 市指定天然記念物
    • 弘経寺のスギ

関連項目

脚注

  1. ^ 「聖聡」『日本大百科全書』(小学館)、「愚底」「存牛」『日本人名大辞典』(講談社)、
  2. ^ a b / 寿亀山弘経寺浄土宗
  3. ^ 弘経寺について 弘経寺

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