訓公
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訓公(くんこう、生年不詳 - 永正17年(1520年)8月15日)は、室町時代後期から戦国時代にかけての浄土宗の僧侶。釈蓮社肇誉(しゃくれんしゃ ちょうよ)とも称される[1]。
人物・経歴
修行時代
下総国飯沼弘経寺で了暁に師事し[1]、共に三河国に渡り、松平氏の庇護を受けるようになる[1]。
三河での活動
1477年(文明9年)、浄願寺を創建(異説あり)[2]。1490年(延徳2年)、了暁の後継者として大恩寺2世となり、松平親忠の支援で寺院を御津山に移転した[3]。のちに存冏の後任として信光明寺2世となり、松平親忠、松平長親父子の帰依を受けた[4]。
知恩院住職時代
1511年(永正8年)、同門の愚底の後任として知恩院第24世に就任[1]。在任中に3度の火災に見舞われ、阿弥陀堂や鐘楼の再建にあたった[1]。1520年(永正17年)に遺言で弟子の存牛(松平親忠の子)を後任に指名した[5]。
事績
寺院整備
人材育成
文化財
脚注
関連項目
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