松平信康とは?

松平信康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/24 05:18 UTC 版)

松平 信康(まつだいら のぶやす) / 徳川 信康(とくがわ のぶやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将徳川家康長男嫡男)。母は瀬名義広の娘で今川義元の姪・築山殿。また、後に松平宗家の居城の岡崎城主愛知県岡崎市)を務めたため、祖父・松平広忠同様に岡崎三郎と名乗った。


注釈

  1. ^ 『当代記』は『安土日記』を引用したと思われる[12]
  2. ^ 典厩は岡崎派と浜松派に分裂していたという直接的な根拠を具体的な史料を挙げて説明していないが、懲罰の例として石川数正松平康忠松平近正、本多重富、本多重次天野康景高力清長、天野貞久、伊奈忠次榊原清政植村家次の事件後の処遇を挙げている[9]
  3. ^ 清瀧寺(浜松市)には殉死した家臣、吉良於初(初之丞)の墓が残る。

出典

  1. ^ 系図纂要.
  2. ^ 谷口克広 2012.
  3. ^ a b c 歴史群像 2007, p. 172
  4. ^ 歴史群像 2007, p. 173.
  5. ^ a b 谷口克広 2007, pp. 203-211
  6. ^ a b 谷口克広 2007, p. 206
  7. ^ 盛本昌広 1999, p. 27-28.
  8. ^ 谷口克広 2007, p. 205-206.
  9. ^ a b c 典厩五郎 1998
  10. ^ 谷口克広 2007, p. 206-207.
  11. ^ 歴史群像 2007, p. 176.
  12. ^ 田中敏貴、小山真人近世初期の自然災害記録媒体としての『当代記』の特性分析」、『歴史地震』第16巻、2000年、 156-162頁。
  13. ^ 谷口克広 2007, p. 208-209.
  14. ^ 高澤等 2012, p. 176, 第6章「松平信康」.
  15. ^ 盛本昌広 1999, p. 26-28.
  16. ^ 今月のアーカイブ 大三川志(だいみかわし)”. 国立公文書館. 2015年1月27日閲覧。
  17. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション、藩翰譜巻6、http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142666
  18. ^ 歴史群像 2007, p. 174.
  19. ^ 谷口克広 2007, p. 209-211.
  20. ^ 谷口克広 2012, p. 219.
  21. ^ 谷口克広 2012, p. 225.
  22. ^ 谷口克広 2012, p. 223.
  23. ^ 『津山松平浄光公年譜』
  24. ^ 施設スポット検索 - 清瀧寺 はままつ旅百花 - 観光情報サイト浜松だいすきネット~はままつ旅百花~[リンク切れ]
  25. ^ 秋元茂陽 『徳川将軍家墓碑総覧』 パレード、2008年1月、170-172頁。ISBN 978-4434114885
  26. ^ 区指定・登録文化財一覧新宿区[リンク切れ]
  27. ^ 隆岩寺”. こがナビ. 古河市観光協会. 2015年1月27日閲覧。


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