徳川頼宣とは? わかりやすく解説

とくがわ‐よりのぶ〔トクがは‐〕【徳川頼宣】

読み方:とくがわよりのぶ

1602〜1671]江戸初期紀州藩主家康一〇男。紀伊徳川家の祖。紀州55万石領主となり、殖産興業法典編纂努めた南竜公。→紀州家


徳川頼宣

読み方とくがわ よりのぶ

江戸前期大名紀州徳川家の祖。幼名長福、のち頼信院号を南龍院。家康の十男。権大納言に至る。寛文11年(1671)歿、70才。

徳川頼宣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/17 20:26 UTC 版)

徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)は、紀伊国和歌山藩の初代藩主。紀州(紀伊)徳川家の祖[1][2]


注釈

  1. ^ 常陸は親王任国であるため介が守と同等とされる。
  2. ^ 翌慶長17年(1612年)には、前参議となっている(従四位下・左中将如元)[13]
  3. ^ 「介」は佐官(二番手)でありいわゆる国主としての「守」の一段下であるが、常陸国に関しては天長3年(826年)以降、「親王任国」のひとつとされており「常陸守」は武家官位としては名乗らないのが通例であり、介が事実上の一等官の称号に相当する。

出典

  1. ^ a b c d e 和歌山県史編さん委員会 1990, p. 47.
  2. ^ a b 徳川頼宣と紀伊徳川家の名宝”. 和歌山県立博物館. 2024年5月4日閲覧。
  3. ^ 国史大辞典編集委員会 2006, p. 301.
  4. ^ a b c d e f g h i j 続群書類従完成会 1970, p. 41.
  5. ^ a b c d 和歌山市史編纂委員会 1989, p. 103.
  6. ^ 浜田 1942, p. 40.
  7. ^ 浜田 1939, p. 8.
  8. ^ 藩主人名事典編纂委員会 1987, p. 266.
  9. ^ a b c 和歌山県史編さん委員会 1990, p. 48.
  10. ^ 浜田 1939, p. 9.
  11. ^ 和歌山県史編さん委員会 1990, p. 49.
  12. ^ 黒板 1936, p. 533.
  13. ^ 黒板 1936, p. 537.
  14. ^ a b 堀内 1930, p. 20.
  15. ^ 和歌山県史編さん委員会 1990, p. 50-51.
  16. ^ 和歌山県史編さん委員会 1990, p. 51.
  17. ^ a b c 浜田 1942, p. 42.
  18. ^ 黒板 1936, p. 547.
  19. ^ 和歌山県史編さん委員会 1990, p. 53-55.
  20. ^ 和歌山城について”. 和歌山市の文化財. 和歌山市 文化振興課. 2024年5月4日閲覧。
  21. ^ 和歌山県史編さん委員会 1990, p. 56.
  22. ^ 和歌山県史編さん委員会 1990, p. 55.
  23. ^ a b c 和歌山市史編纂委員会 1989, p. 107.
  24. ^ a b c 藩主人名事典編纂委員会 1987, p. 267.
  25. ^ 和歌山市史編纂委員会 1989, p. 133-135.
  26. ^ 和歌山市史編纂委員会 1989, p. 135.
  27. ^ 和歌山県史編さん委員会 1990, p. 85.
  28. ^ 浜田 1942, p. 44.
  29. ^ 小山誉城「紀州徳川家の参勤交代」『徳川将軍家と紀伊徳川家』精文堂出版、2011年。 
  30. ^ 徳川頼宣~豪胆無比、幕府転覆の嫌疑あり?”. WEB歴史街道. PHP研究所 (2019年2月27日). 2024年5月5日閲覧。
  31. ^ a b 浜田 1942, p. 45.
  32. ^ a b c d e 浜田 1942, p. 41.
  33. ^ 長谷川 2011, pp. 129.
  34. ^ 高木昭作. "徳川頼宣". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2024年5月5日閲覧
  35. ^ a b c 和歌山市史編纂委員会 1989, p. 104.
  36. ^ a b 和歌山市史編纂委員会 1989, p. 136.
  37. ^ 和歌山市史編纂委員会 1989, p. 138.
  38. ^ 和歌山市史編纂委員会 1989, p. 138-139.
  39. ^ 李梅渓の墓”. 和歌山市の文化財. 和歌山市 文化振興課. 2024年5月4日閲覧。
  40. ^ 和歌山市史編纂委員会 1989, p. 106.
  41. ^ 小山誉城「徳川頼宣の晩年」『徳川将軍家と紀伊徳川家』精文堂出版、2011年。 
  42. ^ 徳川家入国400年記念 特別展「徳川頼宣と紀伊徳川家の名宝」の開催について”. 和歌山市役所 (2019年9月19日). 2024年5月5日閲覧。



徳川頼宣(とくがわ よりのぶ)

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十 〜忍法魔界転生〜」の記事における「徳川頼宣(とくがわ よりのぶ)」の解説

紀州大納言現在の3代将軍徳川家光叔父初代将軍徳川家康の十男。

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徳川頼宣(よりのぶ)

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くノ一忍法帖」の記事における「徳川頼宣(よりのぶ)」の解説

家康の十男。若年ながら覇気のある真っ直ぐな気性持ち主年上の姪である千姫淡い憧れ抱いており、家康立ち向かう千姫真田くノ一たちを見かねて陰か救いの手さしのべる

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徳川頼宣

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風の抄」の記事における「徳川頼宣」の解説

徳川家康の十男で紀州和歌山城主。「南海の竜」を自称し、自らが徳川家正統であるとの自負から江戸幕府反発し後水尾上皇結んで幕府転覆を謀ろうとする。

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徳川頼宣

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徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「徳川頼宣」の解説

家康の十男、紀伊徳川家初代当主

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