とくがわ‐よりのぶ〔トクがは‐〕【徳川頼宣】
徳川頼宣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/17 20:26 UTC 版)
徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)は、紀伊国和歌山藩の初代藩主。紀州(紀伊)徳川家の祖[1][2]。
注釈
出典
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- ^ 小山誉城「徳川頼宣の晩年」『徳川将軍家と紀伊徳川家』精文堂出版、2011年。
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徳川頼宣(とくがわ よりのぶ)
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「十 〜忍法魔界転生〜」の記事における「徳川頼宣(とくがわ よりのぶ)」の解説
紀州大納言。現在の3代将軍徳川家光の叔父、初代将軍徳川家康の十男。
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徳川頼宣(よりのぶ)
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「くノ一忍法帖」の記事における「徳川頼宣(よりのぶ)」の解説
家康の十男。若年ながら覇気のある真っ直ぐな気性の持ち主。年上の姪である千姫に淡い憧れを抱いており、家康に立ち向かう千姫と真田くノ一たちを見かねて陰から救いの手をさしのべる。
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徳川頼宣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 06:14 UTC 版)
徳川家康の十男で紀州和歌山城主。「南海の竜」を自称し、自らが徳川家の正統であるとの自負から江戸幕府に反発し、後水尾上皇と結んで幕府転覆を謀ろうとする。
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徳川頼宣
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「徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「徳川頼宣」の解説
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