続群書類従完成会
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株式会社続群書類従完成会(ぞくぐんしょるいじゅうかんせいかい)は、1922年(大正11年)から2006年(平成18年)まで活動した日本の出版社。国書刊行会(1905年 - 1922年)[注釈 1]の実質的な後継企業である。
注釈
出典
- ^ a b 石井 1973, p. 2.
- ^ 石井 1969, p. 197.
- ^ 太田 1990, pp. 26-27.
- ^ 太田 1990, p. 27-28.
- ^ 太田 2015, p. 56.
- ^ a b c 石井 1973, p. 3.
- ^ 太田 1990, pp. 28-29.
- ^ 石井 1969, p. 198.
- ^ 熊田 2009, p. 185.
- ^ 太田 2015, p. 58.
- ^ a b c 石井 1969, p. 199.
- ^ a b 石井 1973, pp. 2-3.
- ^ 太田 2015, p. 59.
- ^ 石井 1969, pp. 199-200.
- ^ 石井 1969, p. 200.
- ^ 熊田 2009, pp. 185, 203.
- ^ 岩田 2008, pp. 90-91.
- ^ 東京地方裁判所民事第20部 (2007年1月24日). “平成19年(フ)第60号”. 官報
- ^ 東京地方裁判所民事第20部 (2007年6月22日). “平成19年(フ)第60号”. 官報
- ^ “出版 | 八木書店グループ”. 八木書店. 2016年10月30日閲覧。
- 1 続群書類従完成会とは
- 2 続群書類従完成会の概要
- 3 参考文献
- 4 外部リンク
続群書類従完成会
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「国書刊行会 (1905-1922)」の記事における「続群書類従完成会」の解説
なお、経済雑誌社版『続群書類従』の刊行は、1914年(大正3年)刊の第19輯までで中断しており、これを惜しんだ八代国治は、国書刊行会に刊行の引き継ぎを働きかけていたが、早川純三郎は「経済雑誌社との交渉の見通しに問題がある」として難色を示し、国書刊行会からの刊行は行われなかった。その後、太田藤四郎が八代の呼びかけに応じ、解散する国書刊行会とは別に出版社を組織し、『続群書類従』の刊行を引き継ぐことになる。1922年、太田は早川から四谷区(現・新宿区)舟町の国書刊行会事務所を借り受けるとともに、国書刊行会のスタッフもそっくり引き継ぐ形で続群書類従完成会を設立した。もっとも、事務所はすぐに手狭になったため、1923年(大正12年)8月に北豊島郡巣鴨町(現・豊島区)巣鴨に移転している。 続群書類従完成会は『群書類従』(正・続・続々)の刊行や日本史・日本文学の史料集・学術書の刊行を行ってきたが、2006年(平成18年)9月に倒産し、2007年(平成19年)6月、八木書店に出版事業が継承された。
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