のう‐がく【能楽】
のう‐らく【能楽】
能楽
名称: | 能楽 |
ふりがな: | のうがく |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 能楽 |
認定区分: | 総合認定 |
指定年月日: | 1957.12.04(昭和32.12.04) |
解除年月日: | |
指定要件: | 一 演者 能においてはシテ、ワキ、笛、小鼓、大鼓、太鼓及び地頭の大部分が、狂言においては シテが、社団法人日本能楽会会員であること。 二 演目 伝統的な演目及びこれに準ずるものであること。 三 演技演出 1伝統的な演技演出を基調とすること。 2原則として伝統的な能舞台によること。 |
備考: | |
解説文: | 能はもと能芸、芸能の意をもつ語であって、田楽の能というごとく猿楽以外にもこれが用いられていたが、他のものが衰えて猿楽だけが盛んになるとともに、ほとんど猿楽の能の略称となり、明治以後、これを能楽と呼称することが一般的となった。 登場人物の対話によって進められるいわゆる演劇とは趣を異にし、謡や舞のうちにおもにシテのみの劇が展開する能と科白【せりふ】のやりとりのうちにおかしみを造り出す狂言とがある。能には翁【おきな】、その次位にあって神の出現をみせる脇能【わきのう】物、修羅道【しゅらどう】の苦患【げん】にさいなまれている源平の武者の亡霊の出となる修羅能【しゅらのう】、もっとも幽玄な女舞【おんなまい】な見せる鬘物【かつらもの】、番組の最後に来て鬼や天狗などの出となり早間【はやま】な働【はたらき】や舞を見せる切能物【きりのうもの】、それにこれらのいずれとも言い難いものなど五種類に分類されるが、いずれもきわめて凝縮された動きに表情を読みこまねばならぬので緊迫感にみなぎっている。狂言は能と能の間に上演され、能の中に間狂言【あいきょうげん】という場もある。 |
能楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 14:03 UTC 版)
能楽(のうがく、旧字体: 能樂)は、日本の伝統芸能であり、式三番(翁)を含む能と狂言とを包含する総称である。重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
注釈
- ^ 芝能楽堂は、日本初の能楽堂(能舞台を屋内に収めたもの)である。
- ^ 型においても能と狂言では違いがあり、例えば泣くことを示す「シオリ」でも、能は手を顔に近づけるだけだが、狂言ではエーエーと泣き声を発する
- ^ 小鼓が「ポン(ポ)」であれば大鼓は「カン」とした音調。
- ^ ただしこうした伝統的制度には内部からの批判も存在する。観世栄夫によると、生前、観世寿夫はこうした家元制度を不要なものと考えていたとされる。(観世栄夫『華より幽へ 観世栄夫自伝』白水社、2007年)
- ^ 「宗家預り」「宗家代理」が宗家の代行を務めうることは能楽協会約款にも規定されている。能楽協会約款
- ^ 子供の役もしくは非常に高貴な人物を象徴的に表現するために子供が演じることになっている役
- ^ 適齢期にある三役の子供をシテ方が指導して使うこともある
- ^ 舞台上に待機し、舞台の進行を手助けする役目の人物。小道具や作り物の世話をする他、演じ手が何らかの理由で舞台を続けられなくなった場合には途中から代役を務めることもある。
- ^ 観世左吉流ともいう
- ^ 現在の正式な名称は「独立行政法人日本芸術文化振興会養成事業・能楽三役研修生」である。
出典
- ^ 西野春雄 羽田昶『新版 能・狂言事典』平凡社、2011年、ISBN 9784582126419、310ページ
- ^ 観世栄夫『華より幽へ』白水社、2007年
- ^ 観世銕之丞『ようこそ能の世界へ』暮しの手帖社、2000年
- ^ 横山太郎『天女舞の身体技法:カマエ成立以前の能の身体』『ZEAMI:中世の芸術と文化』1号、森話社、2002年収録
- ^ 松岡心平『宴の身体:バサラから世阿弥へ』(岩波現代文庫)、225-229ページ
- ^ 観世銕之亟『ようこそ能の世界へ』暮しの手帖社、2000年、37ページ
- ^ 井上由理子『能にアクセス』淡交社、2003年
- ^ IPA「教育用画像素材集サイト」[1]
- ^ 氷川まりこ・梅若六郎『能の新世紀』
- ^ 観世前掲書
- ^ 観世栄夫『華より幽へ 観世栄夫自伝』白水社、2007年
- ^ 佐貫百合人『伝統芸能家になるには』ぺりかん社、2000年、82ページ
- ^ 佐貫前掲書、114-115ページ
- ^ 観世栄夫前掲書
- ^ 同上
- ^ 能楽協会|能楽協会について
- ^ 女性能楽師と2つの壁 ―能楽協会と日本能楽会入会―
- ^ 佐貫前掲書、118-119ページ
- ^ 三浦裕子著・山崎有一郎監修『能楽入門(1) 初めての能・狂言』小学館 1999年、ISBN 4093431132、15ページ
- ^ a b c d e f g h i j k 能楽協会, 公益社団法人. “曲の種類 | 公益社団法人 能楽協会”. www.nohgaku.or.jp. 2021年12月4日閲覧。
- ^ 江戸時代の大名生活・上屋敷と下屋敷 目白徳川黎明会(昭和五十年九月二十九日)
- ^ 原田香織『現代芸術としての能』世界思想社、2014年、37ページ
- ^ 国立国会図書館. “能楽の秘伝書を出版したために、破門された能楽師について知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2023年12月27日閲覧。
能楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/13 07:05 UTC 版)
源氏供養 作者(年代)世阿弥、金春禅竹など諸説 形式複式劇能 能柄<上演時の分類>三番目物 現行上演流派観世、宝生、金春、金剛、喜多 異称紫式部 シテ<主人公>紫式部 その他おもな登場人物安居院法印澄憲 季節春 場所石山寺 本説<典拠となる作品>源氏物語表白 能このテンプレートの使い方はこちら 行為としての源氏供養を題材とした能楽作品「源氏供養」がある。「紫式部」とも呼ばれる。 『葵上』、『野宮』など、源氏物語作中の出来事に取材した一連の能楽作品とは異なり、作者である紫式部を題材とする。聖覚の作と伝えられる『源氏物語表白』をもとに構成されている。 作者については世阿弥説、河上神主説(以上『能本作者註文』)、金春禅竹説(『二百十番謡目録』)がある。豊臣秀吉は能楽の中で特にこの源氏供養を好み、1592年(文禄元年)から1593年(文禄2年)にかけて自ら7回舞った記録が残っている。
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能楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 22:09 UTC 版)
猿楽座(座)や流派の長(観世太夫など)を指し、古くは「シテ」の尊称として使用された時代もあったが、現在は使用されていない。
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能楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 13:19 UTC 版)
能楽の世界では、1921年(大正10年)、観世流宗家24世・観世元滋が梅若一門(梅若六郎家、梅若吉之丞家、観世鐵之丞家)を破門にした事件がある(いわゆる観梅問題)。能楽はもともと武家の式楽だったので、江戸時代には幕府や各地の大名家の庇護を受け、各流派はそれぞれ扶持をもらっていた。観世流は江戸幕府の庇護を受けていたので、明治維新後、徳川宗家が駿府に隠棲すると、観世宗家の22世・観世清孝はこれに義理立てして静岡へ移住し、東京は分家の観世銕之丞家の5代目・観世紅雪と初世・梅若実(52世・六郎)が預かる形になった。その間、観世銕之丞家と梅若家は独自に免状を発行するなどの家元同然の活動を行い、観世宗家が東京に戻ってくると、免状発行権の返還を巡って両者は対立するようになる。この問題がこじれて、上述のように破門となった。破門後、梅若一門は新たに梅若流を興したが、その後梅若流も分裂して、最終的には昭和29年(1954年)、能楽協会の斡旋により梅若流は観世流に復帰してこの問題は収束した。
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能楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:49 UTC 版)
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能楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 15:13 UTC 版)
能の演目の一つ。松尾神が登場する。また狂言「福の神」では福の神として登場。
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能楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 05:17 UTC 版)
能楽では家元のことを宗家と呼ぶが、もとはシテ方観世流で分家の観世銕之丞家に対して家元家を宗家と呼んだところからおこったものである。ただ宗家の名称は江戸幕府の将軍より与えられたものであるとする説もある。今日では観世流以外の家元家でも宗家の呼称が使われている。原則として宗家は世襲であり、実子がいない場合は親族から養子を迎えて今日まで続いている。 能楽のうち、特にシテ方(主人公)流派の宗家の権限は強大で、伝統的に演目、演出、上演、人事(認定・破門)、免状、謡本刊行等の権限を有する。能楽師の育成は宝生流では宗家のもとで行われるが、観世流では一定の家格を持つ家(職分家以上)に能楽師の養成を認めている。宗家継承者が不在となっている喜多流では、職分家が「職分会」を組織して「宗家預かり」を定めた上で合議制で運営している。 能楽はもともと武家の式楽だったので、江戸時代には幕府や各地の大名家の庇護を受け、各流派はそれぞれ扶持をもらっていた。観世流は江戸幕府の庇護を受けていたので、明治維新後、徳川宗家が駿府に隠棲すると、観世宗家の22世・観世清孝はこれに義理立てして静岡へ移住し、東京は分家の観世銕之丞家の5代目・観世紅雪と初世・梅若実(52世・六郎)が預かる形になった。その間、観世銕之丞家と梅若家は独自に免状を発行するなどの家元同然の活動を行い、観世宗家が東京に戻ってくると、免状発行権の返還を巡って両者は対立するようになる(いわゆる観梅問題)。大正10年(1921年)、観世宗家24世・観世元滋は梅若一門(梅若六郎家、梅若吉之丞家、観世鐵之丞家)を観世流から除名し、梅若一門は新たに梅若流を興したが、その後梅若流も分裂して、最終的には昭和29年(1954年)、能楽協会の斡旋により梅若流は観世流に復帰した。
※この「能楽」の解説は、「宗家」の解説の一部です。
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能楽
「能楽」の例文・使い方・用例・文例
- 紅葉の名所が能楽の舞台となっている所が全国には多々有ります
- 私は能楽が歌舞伎より好きだが、それは前者が後者よりも優雅に思えるからである。
- 能楽において,狂言師が演じる部分
- (能楽で,)上げ扇という動作の型
- 能楽において,最高の芸境としての安位
- (能楽の一句切りを)謡い終える
- 能楽において,居語りという間狂言
- 椅子車という,能楽で用いる作り物の車
- 能楽で,笛方の一人が謡曲に合わせて吹奏すること
- 一調一声という,能楽の合奏
- 能楽において,入り端という部分
- 色入りという,能楽の裝束や道具
- 能楽において,いろえという,短い舞
- 能楽において,いろえの舞の囃子
- 能楽において,受け頭という,囃子の打ち方
- 能楽で使われる扇
- 打ち込みという,能楽の囃子の手くばり
- 能楽において,老女
- 能楽で,老女の顔をかたちどった面
- 能楽において,声やふるまいが巧みであること
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