宗家継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:15 UTC 版)
「フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「宗家継承」の解説
ローマ皇帝ジギスムントの死によってルクセンブルク家が断絶した後、次のローマ王に選出されたのはジギスムントの娘婿アルブレヒト2世だった。アルブレヒト2世はハプスブルク家の宗家(アルブレヒト系)の当主で、フリードリヒの又従兄に当たった。アルブレヒトはこの時、ジギスムントの有していたハンガリーとボヘミアの王位も獲得している。しかし1439年、在位1年余りで皇帝としての戴冠式も果たせないまま、アルブレヒト2世は対オスマン帝国戦に出陣中、ハンガリーのネスメーイ(英語版)で赤痢によって急死した。 アルブレヒト2世の男子は、父親の死の翌年に生まれたラディスラウス・ポストゥムスしかいなかった。フリードリヒはラディスラウスの後見人に選ばれる一方、自身がローマ王に選出された。オスマン帝国の勢力がなおも迫っており、フリードリヒにはアルブレヒトに代わってオスマン帝国への防波堤となることが期待されていた。しかしこの時点でフリードリヒは、内オーストリアにおいては弟アルブレヒト6世を共同統治者としており、またハプスブルク家領全体で見ればアルブレヒト2世の遺領はラディスラウスに属し、チロルは従弟ジークムントが有するといった具合で、十分な資力が伴っていなかった。 1457年にはラディスラウスが17歳で夭折し、ボヘミアとハンガリーの王位は一旦ハプスブルク家から離れるが、オーストリアの遺領はフリードリヒ3世のものとなった。
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