無双直伝英信流修行
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1927年(昭和2年)8月、無双直伝英信流居合術第18代宗家穂岐山波雄に入門。修行時代は一日少なくとも5時間とも6時間ともいえる稽古を一日も欠かすことなく行っていたという。 当時、武術の業は部外者に見せてはならず、口伝にて師の持つ業全てを弟子が受け継いで次代に継承させていくため、無闇に書物などで書き記すことはまだあまり許されることではなかった。しかし河野は筆まめで、穂岐山波雄、福井春政両師から学んだ教えをメモし纏め、英信流に入門してからわずか6年余りで同流派の人間のみに限って極小数ながら出版するほどの腕前であった。これにより河野は穂岐山より「百錬」の号を貰い、これを名乗るようになった。かつて自著に「千錬万鍛の暁には抜刀、打下し、納刀ともに瞬速、神速に至る」と記したほどだったが、戦後、特に宗家継承後は弟子の要望もあって速すぎず遅くない程度に抜くことを心がけるようになり、これが現在の流れとなっている。 また谷村派(直伝英信流)に師事しながらも、下村派(無双神伝英信流)や他流派の師範とも積極的に交流しており、当時英信流ではほとんど教伝されていなかった奥伝の業である詰合、大小(立)詰、大剣などの研究も行ったといわれる。 その後、第19代宗家福井春政から宗家継承を要請され、1950年(昭和25年)4月14日、第20代宗家継承式典を住吉大社で挙行した。宗家継承について河野は「私は柄にもなく恩師の仰せの侭に、当流の第二十代宗家をお預かりいたす事となり…」と書き記している。
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