しゃく‐り【赤痢】
せき‐り【赤痢】
赤痢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 23:35 UTC 版)
赤痢(せきり)は、発熱、下痢や血便・下血、腹痛などを伴う大腸感染症である。古称は
注釈
出典
- ^ 『ウイルスがサクッとわかる本』廣済堂出版
- ^ 東京都健康安全研究センター (2013年1月4日). "細菌性赤痢". 2013年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月2日閲覧。
3 症状は:(前略)疫痢は2〜6歳までの小児にみられる細菌性赤痢の重症型ですが、1964年以降ほとんどみられなくなりました。
- ^ 『赤痢(赤痢菌)予防ワクチン:有望な臨床実験』(プレスリリース)Institut Pasteur、2009年1月15日。 オリジナルの2016年3月2日時点におけるアーカイブ 。2016年2月29日閲覧。
- ^ 主要赤痢菌6種混合標品が経口赤痢ワクチンの候補に有力 廉価なワクチン開発にむけ、インド国での臨床研究を計画 岡山大学プレスリリース(平成28年2月19日)
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年7月4日閲覧。
- ^ a b c 『病が語る日本史』講談社、東京、2008年、230-236頁。ISBN 978-4-06-159886-7。
- ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、141頁。ISBN 9784816922749。
赤痢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 02:07 UTC 版)
1754年(宝暦4年)8月、薩摩工事方に赤痢が流行した。粗末な食事と過酷な労働で体力が弱っていた者が多く、157名が病に倒れ、33名が病死した。 1755年(宝暦5年)5月22日に工事が完了し、幕府の見方を終え、同年5月24日に総奉行平田靱負はその旨を書面にして国許に報告した。その翌日5月25日早朝、美濃大牧の本小屋(大巻薩摩工事役館跡)で平田は割腹自殺した。辞世の句は「住み馴れし里も今更名残にて、立ちぞわずらう美濃の大牧」であった。 薩摩藩が最終的に要した費用は約40万両(現在の金額にして300億円以上と推定)で、大坂の商人からは22万298両を借入していた。返済は領内の税から充てられることとなり、特に奄美群島のサトウキビは収入源として重視され、住民へのサトウキビ栽培の強要と収奪を行った。現地では薩摩藩への怨嗟から「黒糖地獄」と呼ばれた。
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「赤痢」の例文・使い方・用例・文例
- 死因は細菌性赤痢だと信じられていた。
- アメーバ赤痢.
- 彼は赤痢で 1 週間隔離された.
- 泥水を飲んで赤痢にかかった者がある
- 赤痢が流行する
- 赤痢にかかる
- 彼は赤痢にかかっている
- 赤痢にかかっている者(赤痢患者)がたくさんある
- 赤痢で死ぬ者がある
- 赤痢菌は、知られている中でも最も有毒な物質の1つである
- 赤痢を引き起こす細菌
- 人体にアメーバ赤痢をもたらす寄生体アメーバ
- マラリア・アメーバ性赤痢および全身に渡る狼そう紅斑を治療するのに用いられる抗生物質
- アミーバ赤痢
- ビブリオ性赤痢
- 熱帯アジア産の高木で、堅く白い材を持ち、樹皮はかつて赤痢や下痢の治療薬として用いられた
- 赤痢アメーバが引き起こす腸の炎症
赤痢と同じ種類の言葉
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