にほんさんだいじつろく【日本三代実録】
読み方:にほんさんだいじつろく
⇒三代実録
日本三代実録
日本三代実録
日本三代実録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/08 13:55 UTC 版)
『日本三代実録』(にほんさんだいじつろく)は、日本の平安時代に編纂された歴史書。六国史の第六にあたり、清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の3代である天安2年(858年)8月から仁和3年(887年)8月までの30年間を扱う[1]。延喜元年(901年)に成立[1]。編者は藤原時平、菅原道真、大蔵善行、三統理平など[1]。編年体の漢文で書かれた[1]。全50巻[1]。
編纂
『日本三代実録』の序文によれば、本書の編纂は寛平5年(893年)頃、宇多天皇が源能有、藤原時平、菅原道真、大蔵善行、三統理平に編纂を命じたことにより始まった[1]。具体的な開始年には諸説ある。記された各人の官位からの推測では、寛平5年(893年)4月から寛平6年(894年)8月となる。『日本紀略』には寛平4年(892年)5月1日とあるが、この時期に関する同書の記述には誤記が多く、信頼度は高くないという。寛平9年(897年)に源能有が没し、翌898年に宇多天皇が譲位すると、編纂作業は中断した[要出典]。
次の醍醐天皇の勅を受けて編纂を再開し、事実上、延喜元年(901年)8月に完成した[1]。途中、菅原道真が失脚して大宰府に左遷され、三統理平は転任して編纂から外れた[要出典]。完成を報告したのは、藤原時平と大蔵善行の2人であった[要出典]。編纂の実質的中心は、菅原道真と大蔵善行の2人と推測される[要出典]。
内容
編集方針は「序」を示し、国家儀礼、慶事、災異(災はウ冠の下に火)は全て載せるとしている[2]。六国史の中で最も精緻な記述を持ち[1]、後世の史書の規範となった[1]。詔勅や表奏文を豊富に収録し、先例のできあがった慣行を記載するなど、読者たる官人の便宜を図った。節会や祭祀など年中行事の執行をも記す[1]。
現存する写本は、叙位任官や詔勅・上表の本文、薨卒に関する記述に脱文や省略が多い[1]。これを誠実な態度の表れとみる者もいる[3]が、その部分に編者が故意に隠した事実があるのではないかと疑う者もいる[4]。江戸時代、松下見林や狩谷棭斎などが補訂作業を行った[1]。
巻15と、巻19から巻48、すなわち貞観10年(868年)と貞観13年(871年)1月から仁和元年(885年)12月には、ところどころ写本の省略箇所があり、全文が伝わらない[要出典]。
災害の記録
29年間の記録の中で、地震は300以上記録されている。主な災害は以下に示す通り。
六国史以後
その後も修史事業は試みられ「新国史」なるものが存在したと伝聞されるが、若干残った逸文から見ると完成奏上に至らなかったとする見解が主流であり、原因としては律令政治の衰退があげられる[要出典]。
脚注
参考文献
- 『新訂増補 国史大系 4 日本三代実録』(前・後)、黒板勝美編、吉川弘文館、初版1937年、復刊2007年ほか
- 『読み下し 日本三代実録』(上・下)、武田祐吉・佐藤謙三訳、戎光祥出版、新装復刊2009年
- 坂本太郎 『六国史』 吉川弘文館、1970年、新装版1994年
- 坂本太郎 『日本の修史と史学 歴史書の歴史』 新版・講談社学術文庫、2020年
関連項目
外部リンク
- 菊池真一研究室「六国史」〔全文〕「J-TEXTS 日本文学電子図書館」からページ移行
- 『日本三代實録』朝日新聞本 『増補 六国史』(全十二巻 佐伯有義、朝日新聞社、昭和15)
- 『日本三代実録』 - コトバンク
日本三代実録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 02:19 UTC 版)
859年〈貞観元年〉8月25日 - 出雲国の俘囚である正六位上吉弥侯黄海を従五位下に叙した。 862年〈貞観4年〉5月10日 - 右京の人で左弁官史生の従六位下於公浦雄、弟の菅雄、主雄ら3人に滋世宿称の姓を与えた。常陸国久慈郡の人である丸子部妋人、茨城郡の俘囚である吉美侯酒田麻呂らを進位三階とした。父母への孝行によるものである。 863年〈貞観5年〉12月16日 - 陸奥国磐瀬郡の人で正六位上勳九等の吉弥侯部豊野が陸奧磐瀬臣の姓を賜った。天津彦根命の後裔だからである。 870年〈貞観12年〉3月29日 - 従五位下対馬守兼肥前権介である小野朝臣春風が奏上して言った。「故従五位上小野朝臣石雄の家の羊革甲一領、牛革甲一領が陸奧国にあります。去る弘仁4年に賊首である吉弥侯部止彼須可牟多知らが叛いて乱となった時、石雄は彼の甲を着て残賊を討ち平らげ、その後、兄の春枝がこれを献上しました。望わくば、羊の革の甲を以って警吏に当たり、帰郷の日に全うして官に献上することを望みます」と。詔をもってこれを許可した。牛の革の甲は陸奧権守小野朝臣春枝が給わった。 877年〈元慶元年〉3月23日 - 陸奧国の人で外正六位上勳五等の吉弥侯部真保に外従五位下を授けた。
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