菅原道真とは?

すがわらの みちざねすがはら- 【菅原道真】 ○

845~903平安前期学者政治家。是善の子菅公かんこう菅丞相しようじようと称される。宇多醍醐両天皇に重用され、文章博士蔵人頭などを歴任右大臣に至る。この間894年遣唐大使任命されたが建議して廃止901年藤原時平讒訴ざんそ大宰権帥左遷翌々年配所で没した。性謹厳にして至誠漢詩和歌・書をよくし、没後学問の神天満天神としてまつられた。「類聚国史」を編し、「三代実録」の編纂へんさん参与詩文集「菅家文草」「菅家後集

菅原道真 (すがわらのみちざね)

9世紀後半学者政治家で、宇多天皇うだてんのう]に重く用いられ、右大臣うだいじん]という要職にまでつきました。しかし、901年藤原氏はじめとする勢力陰謀により大宰府だざいふ](福岡県)に左遷され、その地で903年亡くなりました。 北野天満宮太宰府天満宮、そして防府天満宮で「学問の神様」としてまつられているのが、この菅原道真です。

関連項目

菅原道真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 15:02 UTC 版)

菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日845年8月1日) - 延喜3年2月25日903年3月26日))は、日本平安時代貴族、学者、漢詩人政治家参議菅原是善の三男。官位は従二位右大臣正一位太政大臣




注釈

  1. ^ 公卿補任』はこれをもって道真と時平に対する内覧の任命とするが、吉川真司は執奏された官奏が天皇に渡る前に内容を確認するのが内覧の職務であり、執奏者と内覧が同一人物であることはあり得ないとしてこれを否定する[1]
  2. ^ 道真はすでに幾度も、政治家をやめ学業に専念したいので辞退したい、と宇多天皇に上申していたが、悉く却下されている。
  3. ^ 『政事要略』所引道真伝では貞観8年5月7日とする。
  4. ^ 『政事要略』所引道真伝、『北野天神御伝』では2月とする。
  5. ^ 渤海客対応ための臨時任官で、5月12日に渤海客が帰国しているため、それまでに官職を去るか。
  6. ^ 古代の大伴氏淳和天皇避諱で改名した。
  7. ^ 大伴狭手彦六世の孫とする[5]
  8. ^ 道真と十一面観音菩薩は結びつけられることが多い。たとえば、『道明寺縁起絵巻』の、左遷途上で土師里によった場面で、道真を中心に十人の白丁姿の化人が現れ一夜にして彫刻を彫った、のような伝承が散見される。
  9. ^ 長谷寺より化現した、白太夫が予知夢をみたなど様々なバリエーションがある。
  10. ^ この伝承は、道真が37歳ころの詩「我に父母無く兄弟無し」が由来ではないかという指摘がある。[12]
  11. ^ 若い頃から白髪でお腹が太かった。
  12. ^ 桐畑太夫には、弘仁二年(811年)に、菊石姫という美しい娘が産まれたという伝承もある。菊石姫の体は成長するにしたがって徐々に龍へと変化したため、太夫に気味悪がられ捨てられてしまう。そして、世話になった乳母を助けるため盲目の龍となり、最終的に余呉湖の主におさまったという。
  13. ^ 受験勉強中にも、「賦得折楊柳、一首」など女性を細やかに表現した詩をつくっている。
  14. ^ 日本刀剣の祖とされ、かの天叢雲剣小烏丸を作ったとされる刀匠天国作の宝刀。『元禄本天満宮縁起』『菅生宮縁起』『誉田宗庿縁起絵巻』等によると、仁和二年(886年)七月一四日、道明寺にいた道真は、誉田八幡宮へ参籠したさい一五・六歳の童子が現れ天國を授かったという。そして、筑紫まで佩刀し最後は府の官人に渡ったとされる[15]。江戸時代に亀戸天神から盗人がこの宝剣を盗んださい、激しい雷雨に見舞われたため神罰と恐れをなし神社へ返還したという[16]。また、「一度鞘から抜き放てば決まって豪雨を呼ぶ」という伝承もある[17]
  15. ^ 銘「朱鳥二年八月日神息」。刀匠の祖とされる伝説上の刀工神息の作刀。道真の遺品として御鏡と共に白太夫(渡会春彦)により長子菅原高視へ授けられたという。現在は潮江天満宮の御神体となっている。[18]
  16. ^ 太刀「猫丸」は道真作とされ、脇差「小猫丸」は道真の守刀とされる。あるとき、道真が刀を壁に立てかけていたところ、走ってきた猫が当たった瞬間に、胴体が真っ二つに切れたところから「猫丸」と名付けられた、という同様の逸話を持つ。[19]
  17. ^ 『太郎丸託宣記』によれば、ほかに仏舎利・玉帯・尺鏡(笏と鏡)を所持していたという。
  18. ^ についての和歌も残しており、『拾遺和歌集』「天つ星道も宿りもありながら空に浮きても思ほゆるかな」(天の星のように、道も宿もありながら、空に浮かんでいるような思いがすることだなあ)と左遷道中で今後の不安を、『新古今和歌集』「彦星の行き逢いを待つ鵲の門と渡る橋を我に貸さなむ」(彦星織姫と会うのを待つという、の渡す橋を私に貸してくれ)と大宰府で帰京への強い想いなどを綴っている。
  19. ^ 白居易の詩「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」による語。白居易は道真が最も影響をうけた人物。
  20. ^ 道真の直系の子孫である菅家七家の塩小路氏には、門外不出の秘事として、神代文字の他に、天とつながることができるという篆刻文字が伝わる。[43]
  21. ^ 「魂魄を徴せ」の質疑応答、陰陽師の呪詛を防いだという逸話(後述参照)がある。
  22. ^ ただし、天皇とその周辺は、外世界にいる完全者である仏の化身として、衆生を救済する者として特別に扱った。後に、この天皇のような特別な者のみを仏の化身とした考えは失われ、仏の化身という思想だけが乱用され、皮肉にも道真自身もその流れに巻き込まれていくことになる。
  23. ^ 「この宇宙はあらゆる階層の存在で充満した連続する鎖の環である」という哲学的観念。
  24. ^ 『菅家遺誡』という道真が残した公家の家訓をまとめた書の言葉。現在では、所功により後世に平田篤胤によって加筆改竄された偽書ではないか、という指摘がなされている[47]
  25. ^ 愛知県津島市神守町には、道真の息女が津島に流されて来てこの和歌を人々に伝えたという伝承が残されており、神守の地名の由来となっている。[48]
  26. ^ この事を深く恨んだ清行は、『革命勘文上奏により、逆臣藤原仲麻呂の例をあげ、改元させ後世まで道真を逆賊として印象づけようとするなど、時平らと共に裏で様々な暗躍をしたとされている。また、『扶桑略記延喜18年(918年)の項に、10月26日に清行が亡くなると、息子浄蔵が5日後に京に戻り祈祷し、清行の蘇生に成功。その7日後に清行は西に向かって念仏しながら改めて他界するが、火葬したさい、なぜかその舌だけは焼けずに残っていたという[59]
  27. ^ 奉幣使としてあちこちに行っており、貞観一八年(876年)に、越前国の神社に奉幣使として赴いている。
  28. ^ 『春日獨游三首・其二』によれば、夜に突然詩興が沸いたので彷徨い大声で詩を読誦していたところ、村人に狂人扱いされてしまったという。
  29. ^ のちに都でこの不遇に見まわれている民のことを回顧し同情している。
  30. ^ 祭文の内容は「城山の神よ、我が願いを聞き入れて下されば、讃岐の民は末代まで貴殿を敬い祀るであろう。だがしかし、もしそれを聞き入れて下さらなければ、民は貴殿を疎んじ、その尊厳は地に落ちるであろう」という懇願と脅しを交えた説得文だったという。[63]
  31. ^ 道真は処女作『月夜見梅花』や『水中月』など月を題材にした詩作も多い。
  32. ^ この2つの経典は、仁王経と合わせて護国三部経といわれ、国家の安泰を願って用いられた。
  33. ^ 古墳時代中期のもの。
  34. ^ 他に、自由に行き来できなかったことも詠っている。[71]
  35. ^ 菅公夫人の墓
  36. ^ そのためか、詩中には判読できない部分もある。
  37. ^ 『菅家後集』「官舎幽趣」によれば、左遷されてから思うのは、王の迎えをも傲慢に拒否して卑しい身分の役人にとどまった荘子の生き方、そして、どこにいても信じて仕えるのは、この世のすべては空しいと説いた釈迦の教え、としている。
  38. ^ 「詠樂天北窓三友詩」では謫居での暮らしは辛酸を極め夢を見るどころではないと綴る。
  39. ^ 他に「無実の罪をきせられている私を悲しんでくれる者は誰もいない」と、孤独感も詠っている。[86]
  40. ^ 更に後の明治6年、この地が旱魃に見まわれた際に石を焚いたところ、石が裂け中から鯰が生まれるようになったという。

出典

  1. ^ 吉川「上宣制の成立」(所収:『律令官僚制の研究』塙書房、1998年 ISBN 978-4-8273-1150-1
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 『公卿補任』
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『日本三代実録』
  4. ^ a b 『菅家文草』巻8,省試対策文二条割注
  5. ^ 中田憲信『菅公系譜』
  6. ^ 『菅家文草』勉誠出版 石川県立図書館蔵川口文庫善本影印叢書 1、2008年 ISBN 978-4-585-03181-9
  7. ^ 川口久雄校注 『菅家文草・菅家後集』 岩波書店 日本古典文学大系72、1966年(絶版)
  8. ^ 水崎雄文 2004, p. 30.
  9. ^ 鹿児島県立川内中学校編『川内地方を中心とせる郷土史伝説 西播磨の民謡』発行人:泰山哲之、1979年
  10. ^ a b 『北野天神縁起絵巻』
  11. ^ 『菅生宮縁起絵巻』
  12. ^ 永冨明郎著『天神さまの細道 菅原道真を紀行する』東洋図書出版2011年、p.69
  13. ^ a b 菅原道真における白居易の受容
  14. ^ レファレンス協同データベース 草津市下寺町の天満宮(てんまんぐう)の神事の概要を知りたい。
  15. ^ 皇室ヤフオク(11)昭和天皇 御大礼 飾太刀・追記アリ
  16. ^ 天国あまくに ~雷鳴呼ぶ神剣を鍛った刀工の祖~
  17. ^ 光明堂 - 成田山新勝寺ページ! 光明堂 愛染明王 縁結びの絵馬 天国の宝剣
  18. ^ 日本古学アカデミー 『本朝神仙記伝』の研究(31) -松木春彦-
  19. ^ もみじ苑・宝物殿 特別同時公開 | 北野天満宮
  20. ^ 九州国立博物館 | 特別展『国宝 大神社展』 毛抜形太刀 伝菅公遺品
  21. ^ アマナイメージズ 天神祭 丑日講 菅公御佩用の御太刀
  22. ^ 『本朝鍛冶考』『古刀銘尽大全』『日本国中鍛冶銘文集』『文明十六年銘尽』 『長享目利書』等
  23. ^ 『北野天神御伝』
  24. ^ 6-2)<菅原氏> (菅原氏詳細系図参照) ⑲
  25. ^ 『菅家文草』「日の長きに苦しむ」
  26. ^ 太宰府来たら食べなきゃね!名物【梅ヶ枝餅】のお店全部載せます 歴史
  27. ^ 福井市中央卸売市場 1月25日の「天神講」には焼カレイを!!
  28. ^ 燕市 天神講 つばめ食育だより
  29. ^ 柿天神祭で道真しのぶ 氷見・伊勢玉神社:北國新聞2017年10月26日
  30. ^ 防府天満宮 芳松庵
  31. ^ 『菅家文草』「早衙」
  32. ^ 落馬止め天神(北野天神)サイト/由緒
  33. ^ a b 『菅家文草』「海上月夜」
  34. ^ 狩野文庫本『瑠璃壺之御詠歌百首者』
  35. ^ 『河州志紀郡土師村道明尼律寺記』
  36. ^ 『菅家文草』「春日山を尋ぬ」
  37. ^ 『菅家文草』「春夜の桜花を賦す」
  38. ^ 『菅家文草』「官舎の前に菊の苗を播う」
  39. ^ 『菅家文草』「感殿前薔薇、一絶」
  40. ^ 『新古今和歌集』「月ごとに流ると思ひし真澄鏡西の海にも止まらざりけり」
  41. ^ 『新古今和歌集』「海ならず湛へる水の底までも清き心は月ぞ照らさん」
  42. ^ 神代文字-日本的霊性 - AAA!Cafe 伊勢神宮の神代文字
  43. ^ 山本光輝のいろは・ひふみ呼吸書法 山本先生×塩小路氏 ジョイント講演決定!
  44. ^ 『菅家後集』「秋夜」
  45. ^ 『菅家文草』「九日侍宴同賦菊散一叢金、応製」
  46. ^ 武田佐知子/編『太子信仰と天神信仰 信仰と表現の位相』思文閣出版2010年、ISBN 978-4-7842-1473-0 pp. 201-229
  47. ^ 所功著『菅原道真の実像』臨川書店、2002年
  48. ^ 弁護士加藤英男.com 菅原道真公・御歌「祈らずとても神や守らん」
  49. ^ 新釈講孟余話: 吉田松陰、かく語りき 吉田松陰著 2014年、pp.311-312
  50. ^ 『菅家後集』「叙意一百韻」
  51. ^ 『菅家文草』「立春」
  52. ^ 『菅家文草』「詩を吟ずることを勧めて、紀秀才に寄す」
  53. ^ 和漢朗詠集
  54. ^ 四十物昆布(あいものこんぶ) 生地の名水めぐり 黒部の地域情報 ◆前名寺天満宮(学問の神様 菅原道真父子の軸があるお寺)
  55. ^ 週刊みとよ ほんまモンRadio! 延命院での『一』のお願いごと
  56. ^ a b 「このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」
  57. ^ 『菅家後集』486
  58. ^ 『菅家文草』「秋湖賦」
  59. ^ 永冨明郎著『天神さまの細道 菅原道真を紀行する』東洋図書出版2011年、p.417
  60. ^ 道明寺天満宮由緒
  61. ^ 『旅亭歲日招客同飲』『四年三月二十六日作』
  62. ^ 『菅家文草』「行春詞」
  63. ^ 永冨明郎著『天神さまの細道 菅原道真を紀行する』東洋図書出版2011年、p.216
  64. ^ 阿波ナビ 西祖谷の神代踊
  65. ^ 恋松天神 お藤天神
  66. ^ 伊香具神社社伝
  67. ^ 長谷寺縁起絵巻
  68. ^ 長谷寺験記
  69. ^ 『宮滝御幸記』
  70. ^ 岐阜県揖斐川町 清水の歴史
  71. ^ 『新古今和歌集』「刈萱の 関守にのみ 見えつるは 人も許さぬ 道辺なりけり」
  72. ^ 安楽寺縁起藤原長子託宣記
  73. ^ 柏崎の偉人と文化財 綾子舞 小歌踊 小切子踊(高原田)
  74. ^ 菅原神社 鹿児島県神社庁
  75. ^ 「尼崎百物語」12日発刊 尼崎の怪談や伝説掲載 :神戸新聞NEXT2016年4月8日
  76. ^ 桜天満宮(亀岡市
  77. ^ 桜石 京都府観光連盟
  78. ^ 子安天満宮(高槻市
  79. ^ 樹下神社『女天神 安産石』
  80. ^ 古熊神社
  81. ^ 蹉だ神社
  82. ^ 丸森町観光案内所 宗吽院
  83. ^ レファレンス協同データベース 加賀藩前田家の先祖、天穂日命から前田利家公までに代々の姓名を教えてほしい。
  84. ^ ちくしの散歩 23.菅公伝説(2)
  85. ^ 神社人 紅姫稲荷神社
  86. ^ 『新古今和歌集』「筑紫にも 紫生ふる 野辺はあれど 無き名悲しぶ 人ぞ聞えぬ」
  87. ^ 「石穴神社 奥の院 調査報告」
  88. ^ 囮の暗号「咎なくて死す」


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