し‐じゅく【私塾】
私塾 (しじゅく)
私塾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 18:29 UTC 版)
私塾(しじゅく)とは、私設の教育機関。私学の一種。中国起源の用語で、近代以前の中国・韓国・日本等の漢字・儒教文化圏において普及した。
- ^ a b c 中国大百科全書(オンライン第3版)の項目「私塾(中国教育史)」参照
- ^ 佐々木清之丞(1943年)、12頁
- ^ 中国の近代以前の初等教育機関に相当する私学は時代により、書館(漢・晋代)、郷学・村校(唐代)、家塾・義塾(宋・元・明代)、坐館・私塾・義学・義塾(清代)などと称されたという(陝西省地方志編纂委員会『陝西省志・教育志(上冊)』西安・三秦出版社、2009年、第一篇第二章第二節 辦学形式)。
- ^ a b 学制百年史 第一編・序章・一 幕末期の教育:私塾の発達)
- ^ 佐々木清之丞(1943年)、8-9頁
- ^ a b 学制百年史 第一編・序章・一 幕末期の教育:武家の教育
- ^ 石川謙(1934年)、210頁
- ^ 能勢栄(1893年)、151頁
- ^ 乙竹岩造(1917年)、75-76頁
- ^ 学制百年史 第一編・序章・一 幕末期の教育:洋学および洋学校の発達
- ^ 新聞集成明治編年史編纂会編『新聞集成明治編年史』第一卷、林泉社、1936年、381頁。同データは『明治事物起原』『慶應義塾七十五年史』等でも転載。
- ^ 内閣官報局『法令全書 明治7年』1171-1172頁
- ^ 内閣官報局『法令全書 明治7年』1185頁
- ^ 神辺靖光(1974年)、4頁
- ^ 文部省による全国調査に基づいて刊行された『日本教育史資料』では、不完全ながら江戸時代から明治5年までの私塾・寺子屋一覧を掲載。
- ^ 学制百年史 第一編・第一章・第三節 四 中学校等の普及。公立中学校数は明治7年11校、10年31校、12年107校、生徒数は7,786人。対する私立中学校は明治7年21校、10年358校、12年784校、生徒数は32,243人。明治初期の公私立中学校は規模・内容ともに貧弱で、明治11年の『文部省年報』中学校一覧表によると、全国中学校のうち約70%は1学校1教員で、1学校2教員の中学校を合せると216校で、全体の80%を占めた。修業年限も2年から6年まで様々で、内実は従来の私塾の延長にすぎなかった。
- ^ 『慶應義塾七十五年史』1932年、121頁
- ^ 名倉英三郎(1960年)、神辺靖光(1974年)論文参照
- ^ 中国孔廟信息化平台工作委員会「探尋古代私塾」参照(2023年3月25日閲覧)
私塾
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文政元年(1818年): 武田宗左衛門 - 山口県玖珂郡玖珂町に稽古屋敷を創立。 嘉永2年(1850年): 武田裕治 - 第二代校長に就任。
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