私塾牛麓舎時代
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天保14年(1843年)8月、14歳のとき備中松山藩の儒者山田方谷の私塾牛麓舎に入り、19歳のとき塾長となる。備中松山藩の元締、吟味役となり、藩務多忙の方谷にかわり舎生の訓育に当たる。この頃貞一郎と称す。嘉永5年(1852年)3月、23歳のとき伊勢津藩の斎藤拙堂に師事する。翌年、『探辺日録』を作る。在津中、玉乃世履、鶴田皓を知る。安政3年(1856年)3月、伊勢を去り、翌年備中松山藩藩士となる。
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