三島中洲とは? わかりやすく解説

みしま‐ちゅうしゅう〔‐チユウシウ〕【三島中洲】

読み方:みしまちゅうしゅう

[1831〜1919漢学者備中(びっちゅう)の生まれ。名は毅(つよし)。東大教授東宮侍講宮中顧問官などを歴任明治10年(1877)漢学塾二松学舎創立した。著「詩書輯説」「論学三百絶」「中洲文稿」など。


三島中洲

読み方みしま ちゅうしゅう

松山藩士・漢学者。名は毅、字は遠叔、号は南、のち中洲山田方谷斎藤拙堂に学ぶ。維新後、判検事宮中顧問官となる。二松学舎創立し漢文学界に貢献した大正8年1919)歿、90才。

三島中洲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/11 19:30 UTC 版)

三島 中洲(みしま ちゅうしゅう、文政13年12月9日1831年1月22日) - 大正8年(1919年5月12日)は、江戸時代末期から大正時代の漢学者東京高等師範学校教授、新治裁判所長、大審院判事、東京帝国大学教授、東宮御用掛、宮中顧問官二松學舍大学の前身となる漢学塾二松學舍の創立者である。重野安繹川田甕江とともに明治の三大文宗の一人に数えられる。正三位大東文化協会初代理事長。




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