義利合一論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 07:45 UTC 版)
方谷の備中松山藩での藩政改革ではその右腕的存在であり、この時の経験から本当の君子は利益を賤しむのではなく、義に則った利益の得方・使い方が出来なければならないとする「義利合一論」を唱えた。この独自の思想「義利合一論」は、明治19年(1886年)「義利合一論」、明治41年(1908年)「道徳経済合一論」と題して東京学士会及び哲学会で講演している。またこれにより渋沢栄一とも意気投合し、中洲の死後、栄一は二松學舍の経営に関わることになった。
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