義助とは? わかりやすく解説

義助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 06:15 UTC 版)

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義助(ぎすけ / よしすけ、生没年不詳)は、駿河国嶋田で活動した刀工の一派。五条義助とも称した。嶋田派と呼ばれる刀工流派の一つで、室町時代中期から江戸時代中期まで代を重ねている。なお、名の読みに定説はなく、どちらでも間違いにはならない。

概要

島田市での伝承によれば、後鳥羽上皇番鍛冶を務め京都五条に居を構えた、備前一文字助宗(五条助宗)を祖とするという。助宗が駿州嶋田に移住して、その子孫が正安年間に五郎入道正宗の教えを受け初代義助となり、四代義助が駿河守護今川義忠に召し抱えられた。ただし、義助の名は義忠の一字を拝領したものと考えられ、実際はこれが初代と推測されている。

義助を襲名した者は三代か四代か諸説あるが、初代が康正、二代は永正、三代が天文年間頃の時期で、四代とされる者は天正年間頃となる。の名工としても知られ、天下三槍の一つ御手杵の槍は四代義助の作とされる。

室町時代後期の連歌師宗長法師は義助の子である。

島田派一門には助宗、広助、義綱、元助などがいる。初代義助の弟は助宗を名乗り、明応年間頃から三代があり、島田助宗として知られる。

参考文献

  • 『日本刀講座』、雄山閣、1934年
  • 『新版日本刀講座』、雄山閣出版、1997年

関連項目


義助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:33 UTC 版)

屋上の狂人」の記事における「義助」の解説

義太郎と末次郎の父。狂人長男義太郎がいつも屋の上登る有様世間体を気にして苦にしている。

※この「義助」の解説は、「屋上の狂人」の解説の一部です。
「義助」を含む「屋上の狂人」の記事については、「屋上の狂人」の概要を参照ください。

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