おくじょうのきょうじん〔ヲクジヤウのキヤウジン〕【屋上の狂人】
屋上の狂人
屋上の狂人
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『屋上の狂人』(おくじょうのきょうじん)は、菊池寛の戯曲。京都帝国大学卒業を目前にした1916年(大正5年)5月に発表した一幕物で、それまでの筆名「草田杜太郎」を廃し、本名の「菊池寛」を用いた初めての作品である[1][2][3][4]。
注釈
- ^ ただし、京大に入学した翌年の1914年(大正3年)2月には、久米正雄、成瀬正一らに誘われ、1人京都にいる菊池も第三次『新思潮』創刊同人に参加できた[17][18]。第三次『新思潮』創刊号の表紙は、山宮允の紹介でウィリアム・ブレイクの神秘幽玄の絵『日の老いたる者』となった[19]。菊池と芥川龍之介とは一高時代はそれほど親密ではなかったが、菊池が上京した折に江戸文学や海外文学に対する共通の興味で話が盛り上がり意気投合した[1][16]。
- ^ 弘田親愛は『帝國文学』に短歌を寄稿していた人物である[1][47]。
- ^ グレン・W. ショー(Glenn W. Shaw, 1886年 – 1961年)は、アメリカ出身の教育者・翻訳者で、1913年(大正2年)に初来日し、大阪高等商業学校、山口高等商業学校などで英語教師を務めながら、芥川龍之介の作品の翻訳などを行なった[27]。戦後の1950年(昭和25年)から1957年(昭和32年)にはアメリカ大使館文化情報官を務めた。日本名は「尚紅連」[56]。
- ^ 三島由紀夫は1955年(昭和30年)11月に文藝春秋祭りの文士劇で『屋上の狂人』の弟・末太郎の役をやっているが[61]、この1955年(昭和30年)頃、目黒区の三島の自宅を写真撮影のために師の林忠彦とともに訪問したカメラマンの齋藤康一は、その際に三島が『屋上の狂人』の主人公のポーズをとろうとしたことを述懐している[62]。
- ^ 菊池は、仲木貞一が1914年(大正3年)5月の『早稲田文学』に載せたグレゴリー作品の翻訳「喜劇ヒヤシンス・ハルヴェイ」(1914年)に誤訳が多数あるのをすぐさま発見し、〈グレゴリー夫人虐殺される〉と題する憤慨の言を表明しつつ指摘して彼女の作品に対する並々ならぬ思い入れを見せた[1][63][64]。
これ以降「草田杜太郎」という名は翻訳をする者の間で恐慌を巻き起こし、菊池の存在は一目置かれるものとなった[1]。
出典
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- ^ https://www.siscompany.com/produce/lineup/13chichikaeru/index.htm シス・カンパニー公演〜2本立て上演〜父帰る/屋上の狂人](SIS Companyホームページ)
- ^ a b テレビドラマデータベース「屋上の狂人」
- 1 屋上の狂人とは
- 2 屋上の狂人の概要
- 3 登場人物
- 4 舞台公演
- 5 脚注
- 6 外部リンク
- 屋上の狂人のページへのリンク