屋上の狂人とは? わかりやすく解説

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おくじょうのきょうじん〔ヲクジヤウのキヤウジン〕【屋上の狂人】

読み方:おくじょうのきょうじん

菊池寛戯曲大正5年1916発表狂人であることのほうが、かえって幸福ではないかとする人生への懐疑と皮肉を描く。


屋上の狂人

作者菊池寛

収載図書菊池寛短篇戯曲
出版社文芸春秋
刊行年月1988.3

収載図書ちくま日本文学全集 021 菊池寛
出版社筑摩書房
刊行年月1991.12

収載図書菊池寛
出版社筑摩書房
刊行年月2008.11
シリーズ名ちくま日本文学


屋上の狂人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/06 14:13 UTC 版)

屋上の狂人』(おくじょうのきょうじん)は、菊池寛の戯曲。京都帝国大学卒業を目前にした1916年(大正5年)5月に発表した一幕物で、それまでの筆名「草田杜太郎」を廃し、本名の「菊池寛」を用いた初めての作品である[1][2][3][4]


注釈

  1. ^ ただし、京大に入学した翌年の1914年(大正3年)2月には、久米正雄成瀬正一らに誘われ、1人京都にいる菊池も第三次『新思潮』創刊同人に参加できた[17][18]。第三次『新思潮』創刊号の表紙は、山宮允の紹介でウィリアム・ブレイクの神秘幽玄の絵『日の老いたる者』となった[19]。菊池と芥川龍之介とは一高時代はそれほど親密ではなかったが、菊池が上京した折に江戸文学や海外文学に対する共通の興味で話が盛り上がり意気投合した[1][16]
  2. ^ 弘田親愛は『帝國文学』に短歌を寄稿していた人物である[1][47]
  3. ^ グレン・W. ショー(Glenn W. Shaw, 1886年1961年)は、アメリカ出身の教育者・翻訳者で、1913年(大正2年)に初来日し、大阪高等商業学校山口高等商業学校などで英語教師を務めながら、芥川龍之介の作品の翻訳などを行なった[27]。戦後の1950年(昭和25年)から1957年(昭和32年)にはアメリカ大使館文化情報官を務めた。日本名は「尚紅連」[56]
  4. ^ 三島由紀夫1955年(昭和30年)11月に文藝春秋祭りの文士劇で『屋上の狂人』の弟・末太郎の役をやっているが[61]、この1955年(昭和30年)頃、目黒区の三島の自宅を写真撮影のために師の林忠彦とともに訪問したカメラマンの齋藤康一は、その際に三島が『屋上の狂人』の主人公のポーズをとろうとしたことを述懐している[62]
    撮影は二階の書斎だったが、そのうち突然三島さんが立上がり、「屋上の狂人」をやりましょうかと、出窓の向うの玄関の屋根瓦に足を掛けた。「危いからいいですよ」と林さんと編集の人があわてて止めた。「青の時代」や「仮面の告白」から受けるイメージとは全然違ってチャメっ気のある人だなあと思った。折角なのにと残念でもあった。 — 齋藤康一「ファインダーの中の三島さん」[62]
  5. ^ 菊池は、仲木貞一が1914年(大正3年)5月の『早稲田文学』に載せたグレゴリー作品の翻訳「喜劇ヒヤシンス・ハルヴェイ」(1914年)に誤訳が多数あるのをすぐさま発見し、〈グレゴリー夫人虐殺される〉と題する憤慨の言を表明しつつ指摘して彼女の作品に対する並々ならぬ思い入れを見せた[1][63][64]
    仲木貞一氏はヒヤシンス・ハルヴェイを飜訳する事に依て、グレゴリー夫人を虐殺した。否虐殺でなくて虐殺以上の恥辱を与へたのだ、美しいグレゴリー夫人の顔に五十四ヶ所の傷を附けてそれ芸術座と云ふ舞台でさらし物にするさうだ。ヒヤシンス、ハルヴェイは百や二百に誤訳を包容して然かも平然たるダンヌンツィオの諸作や、厖大なる露西亜物とは違ふ。一つの僅かな傷さへ堪へがたい四十四頁の小曲である。児役の心臓のやうに繊細な脚本なのだ。(中略)我等愛蘭文学愛好者の為に泣く。 — 草田杜太郎(菊池寛)「『ヒヤシンス・ハルヴェイ』誤訳早見表」[63]
    これ以降「草田杜太郎」という名は翻訳をする者の間で恐慌を巻き起こし、菊池の存在は一目置かれるものとなった[1]

出典

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  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「第二編 作品と解説――屋上の狂人」(小久保 2018, pp. 152–161)
  3. ^ a b 「学生時代――友と友の間」(アルバム菊池 1994, pp. 16–27)
  4. ^ a b c d e f g h 「解題」(菊池・戯曲1 1993, p. 598)
  5. ^ 「屋上の狂人」(第四次・新思潮 1916年5月号・第1年第3号)。菊池・戯曲1 1993, pp. 70–78、ちくま027 2008, pp. 402–422、父帰る 2016, pp. 5–22に所収
  6. ^ a b c d 「演劇――新派と新劇 『新思潮』の劇作家」(キーン現代9 2012, pp. 101–109)
  7. ^ a b 「第二編 作品と解説――父帰る」(小久保 2018, pp. 116–129)
  8. ^ a b c 石割透「解説」(父帰る 2016, pp. 315–330)
  9. ^ a b c 「初出・上演について」(父帰る 2016, pp. 331–333)
  10. ^ a b 「第一編 菊池寛の生涯 四、新進作家からジャーナリストへ」(小久保 2018, pp. 71–93)
  11. ^ 「第十五章 菊池寛『文藝春秋』を創刊 〈8〉-〈10〉」(文壇史 2010, pp. 64–72)
  12. ^ a b 「作品案内――戯曲『屋上の狂人』一幕物」(小林 2007, pp. 161–164)
  13. ^ 「第一編 菊池寛の生涯 二、青春放浪時代」(小久保 2018, pp. 31–50)
  14. ^ a b 「第十五章 菊池寛『文藝春秋』を創刊 〈2〉-〈7〉」(文壇史 2010, pp. 46–64)
  15. ^ a b c 「半自叙伝」(文藝春秋 1928年12月号、1929年1月号)。菊池・随想23 1995, pp. 41–48、半自叙伝 2008, pp. 80–95に所収
  16. ^ a b c 「半自叙伝」(文藝春秋 1929年2月号、5月号)。菊池・随想23 1995, pp. 48–52、半自叙伝 2008, pp. 95–105に所収
  17. ^ a b c d e f 「京洛」(杉森 1987, pp. 86–111)
  18. ^ a b c d e f 「半自叙伝」(文藝春秋 1929年6月号-8月号)。菊池・随想23 1995, pp. 34–37、半自叙伝 2008, pp. 105–119に所収
  19. ^ 「大正文学の展開(『奇蹟』『仮面』第三次・第四次『新思潮』)」(大正アルバム 1986, pp. 58–67)
  20. ^ a b 「無名作家の日記」(中央公論 1918年7月号)。菊池・短編小説2 1993, pp. 162–181、半自叙伝 2008, pp. 155–196に所収
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  23. ^ 「大阪芸術創始」(不二新聞 1914年2月11日号)。菊池・評論22 1995, pp. 31–33に所収
  24. ^ a b 「京都芸術の為に」(中外日報 1914年5月8日号)。菊池・評論22 1995, pp. 42–43に所収
  25. ^ 「二個の感想」(中外日報 1914年6月6日-7日号)。菊池・評論22 1995, pp. 47–48に所収
  26. ^ 片山宏行「《菊池寛文学のおもしろさ》作品のうしろ影 十」(菊池・感想24 1995月報「菊池寛全集通信・18」pp.1-9)
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 鈴木 2011
  28. ^ a b c d e 「シングと愛蘭土思想」(新潮 1917年12月号)。菊池・評論22 1995, pp. 334–338に所収
  29. ^ a b 「愛蘭土人と日本人」(新小説 1920年6月号)。菊池文学・6 1960, pp. 164–165、菊池・評論22 1995, pp. 442–443に所収
  30. ^ a b c d e 「シングの戯曲に対するある解説」〈改題後:シング論〉(帝國文学 1917年11月号)。菊池文学・6 1960, pp. 535–551、菊池・評論22 1995, pp. 323–333に所収
  31. ^ 「第一部-第四部」(アラン島 2005, pp. 5–260)
  32. ^ 栩木伸明「訳者あとがき」(アラン島 2005, pp. 261–275)
  33. ^ 「戯曲研究 七、予備説明エキスポジション――舞台以前」(『文藝講座』文藝春秋社、1924年9月-1925年5月)。菊池・評論22 1995, pp. 113–121に所収
  34. ^ 「文壇春秋――月評とシング」(新潮 1921年6月)。菊池文学・6 1960, p. 156、菊池・評論22 1995, p. 461に所収
  35. ^ a b c d e f 「戯曲研究 十、幕数」(『文藝講座』文藝春秋社、1924年9月-1925年5月)。菊池・評論22 1995, pp. 127–129に所収
  36. ^ a b c d e f 「一幕物に就て」(演劇新潮 1924年2月号)。菊池文学・6 1960, pp. 485–487、菊池・評論22 1995, pp. 567–568に所収
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  44. ^ 「続・半自叙伝」(新潮 1947年5月号)。菊池・随想23 1995, pp. 67–72、半自叙伝 2008, pp. 136–145に所収
  45. ^ a b c 「僕の戯曲について」(『菊池寛全集 第3巻』平凡社、1929年6月)月報。菊池・随想23 1995, pp. 88–89に所収
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  47. ^ a b 「『父帰る』の事」(文藝春秋 1923年3月号)。菊池文学・6 1960, pp. 132–137、菊池・随想23 1995, pp. 76–79
  48. ^ 「半自叙伝」(文藝春秋 1929年10月号)。菊池・随想23 1995, pp. 61–63、半自叙伝 2008, pp. 124–127に所収
  49. ^ a b c d 「その頃の菊池寛 二 『忠直卿行状記』その他」(江口 1995, pp. 124–132)
  50. ^ 「半自叙伝」(文藝春秋 1929年11月号-12月号)。菊池・随想23 1995, pp. 63–67、半自叙伝 2008, pp. 127–136に所収
  51. ^ a b 「その頃の菊池寛 三 『父帰る』の初上演」(江口 1995, pp. 133–139)
  52. ^ a b 「自作序跋」(『藤十郎の恋』新潮社、1920年4月10日)。菊池・随想23 1995, pp. 95–96に所収
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  54. ^ 森田草平「戯曲の書ける男書けない男」(新潮 1926年4月号)。菊池・評論22 1995, p. 592
  55. ^ 「雑記四つ――少し情ない」(演劇新潮 1924年9月号)。菊池・評論22 1995, pp. 581–582に所収
  56. ^ 『20世紀西洋人名事典』(日外アソシエーツ、1995年)コトバンク「グレン・W. ショー」
  57. ^ 「モーニング・ポースト紙の菊池寛評」(読売新聞 1926年5月17日-19日号)。鈴木 2011, pp. 37–38に抜粋掲載
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  59. ^ a b c 杉山寿美子『アベイ・シアター――アイルランド演劇運動』(研究社、2004年12月)。鈴木 2011, p. 38に抜粋掲載
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  62. ^ a b 齋藤康一「ファインダーの中の三島さん」(三島24巻 2002月報)
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  64. ^ a b c d 早川 1994
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  66. ^ a b c 井上ひさし・上林吾郎「菊池寛の今日的意味(解説にかえて)」(菊池・戯曲1 1993, pp. 607–621)
  67. ^ a b 石原慎太郎「わが人生の時の人々――第6回 文士劇の迷優たち」(文藝春秋 2000年8月号)。石原 2002, pp. 149–170、道又 2013, pp. 32–48に所収
  68. ^ 北條誠「素顔の三島由紀夫――君あしたに去りぬ」(『新評 臨時増刊』1971年1月号)。道又 2013, pp. 73–87に所収
  69. ^ 「第四章『金閣寺』の時代――文士劇に出演」(年表 1990, p. 90)
  70. ^ 文藝春秋70年 1991, p. 331
  71. ^ https://www.siscompany.com/produce/lineup/13chichikaeru/index.htm シス・カンパニー公演〜2本立て上演〜父帰る/屋上の狂人](SIS Companyホームページ)
  72. ^ a b テレビドラマデータベース「屋上の狂人」


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