恩讐の彼方にとは? わかりやすく解説

おんしゅうのかなたに〔オンシウのかなたに〕【恩讐の彼方に】

読み方:おんしゅうのかなたに

菊池寛小説大正8年1919発表耶馬渓青ノ洞門由来脚色あだ討ち非人間性と、ヒューマニズム勝利を描く。


恩讐の彼方に

作者菊池寛

収載図書菊池寛短篇戯曲
出版社文芸春秋
刊行年月1988.3

収載図書ちくま日本文学全集 021 菊池寛
出版社筑摩書房
刊行年月1991.12

収載図書恩讐の彼方に・忠直卿行状記 他八篇
出版社岩波書店
刊行年月1993.7
シリーズ名岩波文庫

収載図書仇討小説全集
出版社講談社
刊行年月1996.2
シリーズ名大衆文学

収載図書藤十郎の恋忠直卿行状記
出版社小学館
刊行年月2000.4
シリーズ名小学館文庫

収載図書恩讐の彼方に
出版社フロンティアニセン
刊行年月2005.3
シリーズ名第2刷 (フロンティア文庫)

収載図書父帰る・恩讐の彼方に
出版社舵社
刊行年月2005.8
シリーズ名デカ文字文庫

収載図書菊池寛
出版社筑摩書房
刊行年月2008.11
シリーズ名ちくま日本文学


恩讐の彼方に

読み方:オンシュウノカナタニ(onshuunokanatani)

作者 菊池寛

初出 大正8年

ジャンル 小説


恩讐の彼方に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 14:31 UTC 版)

恩讐の彼方に』(おんしゅうのかなたに)は、大正8年(1919年)1月に発表された菊池寛短編小説である。初出は『中央公論』1919年1月号[1][2]。翌1920年(大正9年)、作家自身の手によって『敵討以上』(かたきうちいじょう)として戯曲化されている(3幕、初出『人間』1920年4月)[1]。このほか、1932年(昭和7年)には『恩讐の彼方に』と『敵討以上』を組み合わせて改作した短編小説『青洞門物語』(『冨士』1932年1月号)も発表されている[1]

江戸時代後期に、豊前国大分県)の山国川沿いの耶馬渓にあった交通の難所に、青の洞門を開削した実在の僧である禅海の史実に取材した作品。しかし禅海は、小説の主人公である市九郎(了海)のようにこれを独力で掘り続けたわけではなく、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇って掘った。また敵討ちの話も作家による創作である。

新潮文庫において短編集『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』を出版するにあたり、作家は「吉川英治」の名義で自らを絶賛する解説文を寄稿した。作家は「自分が書く。解説文は第三者でなければならないのなら、吉川英治の名で出す。吉川君にはぼくから話しておく」と語ったという[3]

あらすじ

越後国柏崎生まれの主人公、市九郎は、主人である浅草田原町の旗本中川三郎兵衛の愛妾であるお弓と密通し、それが三郎兵衛の知るところとなり、手討ちされそうになる。とっさに反撃に出た市九郎は、逆に三郎兵衛を斬り、主君殺しの大罪を犯す。市九郎は、茶屋の女中上がりのお弓にそそのかされて出奔、中川家は家事不取締に付き、お家断絶と沙汰される。 

東山道鳥居峠で茶屋を開いた市九郎とお弓は、表の顔は茶屋の夫婦であるが、その裏で人斬り強盗を生業として暮らしていた。

江戸出奔から3年目の春、自らの罪業に恐れをなした市九郎は、お弓の許を離れ、美濃国大垣在の真言宗美濃僧録の寺である浄願寺で、明遍大徳の慈悲によって出家を果たし、法名を了海と名乗り、滅罪のために全国行脚の旅に出た。

享保9年(1724年)8月、赤間ヶ関小倉を経て、豊前国に入った了海は、宇佐八幡宮に参拝し、山国川沿いにある耆闍崛山羅漢寺を目指した。樋田郷に入った了海は、難所である鎖渡しで事故によって亡くなった馬子に遭遇した。そこで、その難所の岩場を掘削して、事故で命を落とす者を救おうという誓願を立てる。

近在の人々は、そんな了海を狂癡の僧として扱い、見向きもしなかった。しかし、それが多年にわたると、何度か石工を雇って力を合わせようとするが、難工事のゆえに、長続きすることはなく、また、了海一人に戻る始末であった。

月日が経って、18年目の終りになり、中津藩郡奉行の計らいにより、ようやく石工を雇って、掘削作業を進めることができるようになった。

三郎兵衛の子、中川実之助は、父の死んだ時は3歳であった。親類の許で養育され、13歳で父の非業の死の顛末を知る。実之助は、柳生道場に入門し、19歳で免許皆伝、仇討ちのため、27歳まで諸国を遍歴し、九州に入って福岡城下から中津城下へ来た。そこで、市九郎と素性が一致する了海という僧が、山国川の難所で艱難辛苦の最中であることを知り、現場に急行する。 

了海は、親の仇を名乗る実之助の前で、素直に斬られることを望むが、石工たちが必死に止めに入ったため、石工の統領の計らいで、洞門の開通まで仇討ちは日延べすることとなる。実之助は、本懐を遂げる日を1日でも早めるべく、石工たちに混じって掘削を始めた。

了海が掘り始めてから21年目、実之助が来て1年6ヵ月、延享3年(1746年)9月10日の夜九つ近く、ようやく洞門は開通する。

了海は「この法悦の中で往生できるなら、極楽浄土に生まれ変わることは疑いなしじゃ、お切りなされ」と、約束通り実之助に自分を討たせようとするが、市九郎の大慈大悲に心打たれた実之助は仇討ちの心を捨て、了海と互いに手を取り合い感激の涙を流すのだった。

テレビドラマ

1961年

1961年4月22日にNHK総合テレビの『NHK劇場』(土曜20:00 - 23:00)で放送。

出演者
スタッフ

1962年

1962年6月24日にNHK総合テレビの『こども名作座』で放送。

出演者

1968年

1968年5月28日に、毎日放送制作・NET(現:テレビ朝日)系列の『テレビ文学館 -名作に見る日本人-』(火曜22:00 - 23:00)の第9回に放送。

出演者
スタッフ

関連作品

  • Creatures〜生きとし生けるもの達へ - Child-Dream(現・株式会社ミスタ・ストーリーズ)が製作・販売したRPGツクール95作品。中盤のエピソードが本作をモチーフとしており、主人公が長年追い求めた仇敵の掘削作業を手伝い、その末に仇敵を許すという展開となっている。前編終了時には本作を名指ししてその旨を公言するメッセージが表示される。
  • PSYCHO-PASS サイコパス - フジテレビノイタミナ」にて2012年より放送され劇場展開もされている日本のアニメーション作品。2019年3月8日に劇場上映された劇場版三部作「PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.3『恩讐の彼方に__』」にて、登場する少女が読んでいる小説として「恩讐の彼方に」が登場。作中の重要なアイテムの一つであると同時に、映画のタイトルにも使われている。
  • 東京書籍出版の、「新編 新しい道徳⑥」(小学校道徳科用・文部科学省検定済教科書)に、気高い心の象徴として「㉚青の洞門」という題名で掲載されている。内容は、水死人が出たところから、実之助と了海が洞門貫通直後に手を固く握ったところまで。

脚注

  1. ^ a b c 田鎖数馬「菊池寛「恩讐の彼方に」の改作について」『京都大学國文學論叢』第31号、2014年3月31日。doi:10.14989/187020hdl:2433/187020 
  2. ^ 『中央公論』第34巻、第1号、1919年1月。NDLJP:10232042 
  3. ^ 「第二文芸」編集部 (2023年5月19日). “雑誌の編集長を殴って逃走、死の遠因は「過剰な食欲」…前代未聞の文豪社長・菊池寛が残した「豪快伝説」”. 文春オンライン. 2025年3月5日閲覧。

関連項目

外部リンク

NHK総合テレビ こども名作座
前番組 番組名 次番組
恩讐の彼方に
(1962年)
七夕さま
毎日放送制作・NET系列 テレビ文学館
恩讐の彼方に
(1968年)

恩讐の彼方に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 16:07 UTC 版)

青の洞門」の記事における「恩讐の彼方に」の解説

1919年大正8年)に発表され菊池寛の『恩讐の彼方に』は、禅海和尚逸話元にして書かれたものである。ただし、この小説では、隧道は「樋田の刳貫」と呼ばれ、「青の洞門」という名称は用いられていないまた、主人公の僧の名は了海とされている。

※この「恩讐の彼方に」の解説は、「青の洞門」の解説の一部です。
「恩讐の彼方に」を含む「青の洞門」の記事については、「青の洞門」の概要を参照ください。

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