アベイ座とは? わかりやすく解説

アベイ座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/19 20:36 UTC 版)

現在のアベイ座

アベイ座 (アベイざ、The Abbey Theatreアイルランド語Amharclann na Mainistreach)は、アイルランド国立劇場Amharclann Náisiúnta na hÉireann)として知られる、アイルランドダブリンの劇場。日本語ではアビー座、アベイ・シアター、アビー・シアターなどとも表記される。1904年12月27日に第一回公演が行われた。1951年7月の火事で原型の建物を焼失したが、再建して現在も上演を続けている。アベイ座は、英語圏の劇場で初めて国の補助金を受けた劇場である。

1903年に、イギリス人資産家のアニー・ホーニマン英語版の資金援助を得て、イギリスの支配に対抗しアイルランド文化・アイルランド演劇の独自性を確立しようとしていたアイルランド人ウィリアム・バトラー・イェイツオーガスタ・グレゴリーショーン・オケーシージョン・ミリントン・シングら詩人・劇作家、支援者が中心となって劇場を設立。劇団メンバーが上演作品を制作しており、アイルランド文芸復興英語版運動、アイルランド演劇運動の最前線となった[1]。アベイ座はアイルランド演劇英語版と20世紀の俳優たちの養成所であった。加えて、外国公演も行い北米からの観客も呼び込むことから、アイルランド観光産業の牽引役ともなっている。

1902年にイェイツを会長として創立されたアイルランド国民演劇協会が母体である。紅茶商として成功したホーニマン家の一員で、演劇の支援者だったアニー・ホーニマンとイェイツは、魔術結社黄金の夜明け団の団員で、ホーニマンは彼の才能を高く評価し、(アイルランド民族主義は嫌っていたが)彼の演劇活動を支援をしたいと考えており、自身で行ったタロット占いの読み解きも参考し、彼が自由に活動できる場を用意することを決めた[1]。「もしこの劇団が今後一年以上存続するならば」という条件で、本拠地のない彼らに劇場を一つ提供しようと申し出て、1903年に彼女が提供した1,300ポンドの資金を元に、イェイツ、グレゴリー、ジョージ・ウィリアム・ラッセル、エドワード・マーティン、シングらが集まりアイルランド国立演劇協会を設立。ローワー・アベイ街にあった寄席劇場と、その隣にあった空いた建物を買い取って改装し、アベイ座と名付けた。1904年12月27日の初演では、イェイツの『バレの磯』、グレゴリーの『うわさのひろまり』が上演された。に影響を受けた詩人イェイツが主導するアベイ座は挑戦的な劇場で、経営的には厳しかったが、次第に成功を収めるようになっていき、劇作家のための劇場という名声も獲得した。

1951年の失火で劇場を焼失後、本拠地を古いクイーン座へ移して1966年まで活動。1961年にかつてのアベイ座の焼け跡が取り壊され、1963年から再建を開始。当時の大統領エイモン・デ・ヴァレラが劇場の基礎石を置いた。1966年に新劇場完成。

焼失前の旧アベイ座の姿はキングス・カレッジ・ロンドンダブリンのトリニティ・カレッジ、及びダブリンのデジタルグラフィック企業NOHOの協働作業による学術プロジェクトAbbey Theatre, 1904によってデジタル復元されており、3D画像で内装を見ることができる。

出典

  1. ^ a b グリア 2021, pp. 107–113.

参考文献

  • メアリ・K・グリア「アベイ座のタロット・リーディング」『ユリイカ 2021年12月臨時増刊号 総特集 タロットの世界 鏡リュウジ責任編集』、青土社、2021年。 

関連項目

外部リンク

座標: 北緯53度20分54秒 西経6度15分26秒 / 北緯53.34833度 西経6.25722度 / 53.34833; -6.25722


アベイ座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/21 05:58 UTC 版)

ショーン・オケーシー」の記事における「アベイ座」の解説

オケーシー最初に採用され演劇革命戦士の影」がアベイ座において1923年上演された。これは、劇場劇作家両方有益となるはずの関係の始まりであったが、後味が苦いものに終わった。 この演劇は、ダブリンスラムやその住民についての政治の影響革新的に扱っており、マウントジョイ・スクエアにおける設定となっていると解されていた。ここは、1916年イースター蜂起の期間に彼が生活していたところである。これに「ジュノーと孔雀」(1924年)と「鋤と星(すきとほし)」(1926年)が続いた前者この街労働者階級貧民についてのアイルランド内戦影響を扱う一方後者は、1916年におけるイースター蜂起の頃のダブリンという設定になっている。両演劇は、美辞麗句アイルランド愛国心危険性を、借家の生活、自己欺瞞サバイバルと共に生々しく扱った。これらは悲喜劇であり、これらの中で暴力的な死が安堵感もたらす。「ジュノーと孔雀」におけるジャック・ボイルやジョクサー・ダリーのような勇ましい虚勢をはるキャラクター荒れ狂い、「鋤と星」におけるジュノー自身もしくベッシー・バージェスが英雄的な回復力を示す。「ジュノーと孔雀」は、アルフレッド・ヒッチコック監督によって映画になった。 「鋤と星」は、アベイ座の聴衆による反応芳しくなく、ジョン・ミリントン・シングの「西国人気男(The Playboy of the Western World)」(1907年)を歓迎した騒動思い出させるシーン終わったショーの第4夜めについての騒動報告されている。彼の性や信仰記述には、役者に抵抗する者がいて、彼らの台詞をしゃべることを拒んだ最大規模騒動起きた。その一部は「この演劇提起されているテーマについて攻撃であると考えられたこと」に起因し一部は「第2幕における売春婦アニメーション化され外観反対する抗議」に起因するウィリアム・バトラー・イェイツ手を加えて聴衆自身恥じる者として描写した演劇台詞は、その前の週と比べて実のあるものとなったオケーシー彼の仕事諦めフルタイム作家となった。この事件以降、この演劇はアベイ座に来場する人々大部分には好評であったものの、リアム・オフラエティ、オースティン・クラークおよびF・Rヒギンズは、報道の中で、この演劇対す攻撃始めたオケーシーは、「これはイェイツ対す攻撃である」と信じていたので、彼らはイェイツ叱りつけるためにオケーシー演劇使っていた。1952年、彼は、テレサ・デーヴィーによって「ワイルド・ギース」と呼ばれるアイルランド演劇登場したこの中で彼は、ファーザー・ライアンの役を演じたオケーシーは、アベイ座における無数の作品参画していた。これらは、アベイ・アーカイブにある。

※この「アベイ座」の解説は、「ショーン・オケーシー」の解説の一部です。
「アベイ座」を含む「ショーン・オケーシー」の記事については、「ショーン・オケーシー」の概要を参照ください。

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