劇作家
収載図書チェーホフ・ユモレスカ 2
出版社新潮社
刊行年月2007.8
劇作家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/22 01:31 UTC 版)
劇作家(げきさっか、英: playwright、dramatist)は、演劇の上演のために書かれる戯曲の作者。戯曲家と呼ばれることもある。日本においては演出家を兼ねている者が多い。現在までその作品が残っている最も古い劇作家としては、紀元前5世紀頃のアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスなどの古代ギリシアにおける悲劇作家達が挙げられる。その作品である戯曲は、通常は俳優によって観客の前で演劇として上演するために執筆される。戯曲の中には、上演を目的とせず読まれることを目的に書かれたレーゼドラマや、戯曲の形式をとってはいるが上演は意図していない作品もある。
歴史上の劇作家
西洋文学において、今日まで伝えられている最も古い劇作家は、古代ギリシアの劇作家たちである。こうした初期の演劇は、紀元前5世紀ころにアテナイで毎年開催されていた劇作家たちの競技のために書かれたものであった[1]。アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス、アリストパネス といった有名な劇作家たちは、今日でも踏襲されている様々な形式を確立していた。
現代の劇作家
現代のアメリカ合衆国の劇作家たちは、名声や文化的地位という意味で、かつての先達に比肩するところまでには至らないことが多い。もはや演劇は、シリアスなドラマや楽しめるコメディを観客に提供する唯一の回路ではなく、映画、テレビ、インターネットと、観客を奪い合わなければならない。さらに、合衆国における芸術への資金援助の危機的な状態や、非営利団体が運営する劇場に依存したチケットの売上を収入源とせざるを得ないという現実は、多くの劇作家たちに、なかなか新作を出せない状況をもたらしている。例えば、ニューヨークのオフ・ブロードウェイにある非営利劇場 Playwrights Horizons は、1973-74年のシーズンには31本の演劇を上演していたが、2002-03年のシーズンには6本しか上演できなかった[2]。ライバルでもあり、大がかりな制作が行われるミュージカルは、「必見」のブロードウェイ作品(あるいはオフ・ブロードウェイ作品)となっているが、ここでも劇作家が十分な収入を得ることは容易ではなく、大きな成功を掴むといったことは望外である。
しかし、最も成功した劇作家たちは、演劇界において高い地位を占めていることが多い。これは、ハリウッドなどの映画界において脚本家が占める地位とは対照的である。アメリカ劇作家組合(Dramatists Guild of America)は、劇作家は演劇の上演に決定権をもっていると主張している。映画においては、これとは対照的に、監督は「作家」として脚本を自由に変更できる。
『プレイライト』
英語の playwright という言葉を作ったのはイングランドの詩人ベン・ジョンソンのようで、彼のエピグラム49「劇作家へ(TO PLAYWRIGHT)」[3]では、単なる商売としてウケるように作品を作っていく劇作家を見下したような表現として、「プレイライト」が用いられていた。ジョンソンは自身も戯曲を書いていたが、自分のことは常に「詩人(poet)」と称していた。当時の劇は常に韻律をともなっていたので、それを作るのは詩人の仕事と考えられていたからである。こうした見方は19世紀はじめまで存在していた。しかし、その後は、playwright という言葉の否定的な含意はなくなった。
脚注
- ^ Fraser, Neil (2004). Theatre History Explained. The Cowood Press. pp. 11
- ^ Soloski, Alexis (2003-05-21). “The Plays What They Wrote: The Best Scripts Not Yet Mounted on a New York Stage”. The Village Voice 2011年2月12日閲覧。.
- ^ Johnson, Ben (1853). The Works of Ben Jonson. Boston: Phillips, Sampson, and Co.. pp. 788 2011年2月12日閲覧。
関連項目
外部リンク
- The Playwriting Seminars, Virginia Commonwealth University
- "Guide to Plays and Playwrights", forum to discuss classic and contemporary playwrights and playwriting techniques.
- Free Play Scripts, D. M. Bocaz-Larson's Website providing free play scripts and resources on drama for educational purposes
- "Exit Stage Left... No, Your Left", Blog for tips on dramatic structure and theatre theory.
- "Tips for emerging writers", Snodger, Award-winning Australian playwrights offer advice
劇作家
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「アレクサンドル・デュマ・ペール」の記事における「劇作家」の解説
翌1823年、父の友人であったフォア将軍のおかげで後にフランス王ルイ=フィリップ1世となるオルレアン公の秘書課に職を得ることができ、給料を得たためイタリア人広場(現在はPlace Boieldieuボイエルデュー広場)のアパートに田舎から母を呼び寄せることができた。彼は早速2階の隣人で縫製業を営むカトリーヌ・ラベ―を誘惑して、翌年私生児を産ませた。それが小デュマである。野生児で発展家のデュマは次々と女性に手を出し、私生児は彼だけではない。1831年にはベル・クレイサメールとの間に女児マリー=アレクサンドリーヌをもうけた。また1840年には女優イダ・フェリエと結婚してフィレンツェに住んだ。22歳で父親になったデュマは家族のために働くことを余儀なくされたが、劇作家の夢を実現するためせっせと観劇を続けて見た舞台のメモを取り続けた。この頃の舞台は、シェイクスピアを始めとするイギリス演劇の上演が相次ぎ、厳格な三一致の法則に縛られた伝統的な古典演劇一辺倒のフランス演劇界に激変が起こる準備が次第に整った。ロマン派の若い劇作家たちに好都合だったのは当時のコメディ・フランセーズの王室代表委員になったイジドール・テイラー男爵がいたことであった。彼はヴィクトル・ユゴーとアルフレッド・ド・ヴィニーの友人だった。1828年シャルル・ノディエに頼んでデュマは5幕の韻文劇『クリスチーヌ』を仕上げてテイラー男爵に面会することになった。 デュマは指定された時刻に王室代表委員の家に行った。年老いた女中が扉を開けてくれた。 「さあ始めたまえ。君。僕は聴いてるから」と、入浴中のテイラーが言った。 「それでは一幕だけ読みますから、気に入らなければそこで止めさせて下さい」 「それはありがたい」と、テイラーは呟いた。「君は他の連中より僕に同情的なんだね。いい傾向だ。さあ、聴いてるよ」 デュマは第一幕を読み終えると、目を上げる勇気もなく訊いた。 「あの、続けた方がいいでしょうか」 「もちろん、もちろん」と、テイラーは震えながら言った。「僕はベッドに入ろう......全く、非常によい出来だよ」 第二幕が終ると、王室代表委員の方から第三幕を読んでくれと頼んだ。そして第四幕も、第五幕もだった。終ると彼はベッドから跳びおりて叫んだ。 「さあ、これからすぐに、僕といっしょにフランス座に来たまえ」 「どうしてなのですか」 「君が脚本を読む順番をとるためだ」 しかし、『クリスチーヌ』の上演は延期され、デュマは代わりに新しい題材をフランスの歴史に求めた。それがデュマがフランス劇壇に華々しいデビューを果たした5幕散文ドラマ『アンリ三世とその宮廷』である。 1829年2月10日、「フランス座」において翌年のユゴーの『エルナニ』に先立つこと1年、本格的なロマン主義演劇の幕開けとなったのである。『エルナニ』は韻文であったが、デュマの『アンリ三世とその宮廷』は散文であり、一躍ロマン派演劇の旗頭として、その後、立て続けに戯曲を上演することになる。自らの不倫体験を題材にした『アントニー』(1831年)はもはや歴史劇ではなく現代劇であり、主人公のアントニーは当時、社会現象にすらなったほどである。 『ネールの塔』(1832年)は、フレデリック・ガイヤルデという青年が持ち込んだ原作をジュール・ジャナンが手を入れたが、途中で放棄した作品をデュマが最終的に書き直した。この作品は14世紀初頭のフランス王妃とビュリダンとの権力と知力の戦い、尊属殺人、嬰児殺し、近親相姦という恐るべき人倫の蹂躙を舞台にのせ、デュマとガイヤルデの代表作になった歴史秘話であった。その後も演劇への貢献は止むことなく、『キーン』(1836年)、『ベル=イル嬢』、『カリギュラ』(1837年) など、フランス座を始めポルト・サンマルタン劇場、オデオン座、シャルパンティエ座、ルネサンス座などパリのあらゆる劇場で上演された。デュマが生涯で書いた戯曲は総数117 とされ、全てが上演された。上演のための台本収入以外に、台本の出版権も高額に登ったため当然収入もうなぎのぼりになった。
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「劇作家」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は世界で最も偉大な劇作家だと考えられている
- 劇作家
- 彼は大劇作家である。
- 彼は将来シェイクスピアのような偉大な劇作家になるだろう。
- 学生が偉大な劇作家の家を訪問した。
- その劇作家は現在ニューヨークに住んでいる。
- シェークスピアに匹敵する劇作家はいない。
- シェイクスピアは最大の劇作家と認められている。
- シェイクスピアは今まで存在した最も偉大な劇作家だと、私は信じています。
- シェイクスピアはきわめて偉大な劇作家だ。
- イギリスの劇作家でシェイクスピアに匹敵する者はほかにいない。
- 劇作家.
- シェイクスピアは世界が生んだ最大の劇作家だといっても過言ではない.
- 彼には立派な劇作家になる素質がある.
- このプ演劇は、劇作家の運命を決定付けるだろう
- 劇作家ヘンリック・イプセンの、劇作家ヘンリック・イプセンに関する、または、劇作家ヘンリック・イプセンの様式の
- ミュージシャンとオペラ劇作家は共同制作者だった
- 悲劇を書く作家(特に劇作家)
- ギリシア人の悲劇作家
- 米国の劇作家(1928年−)
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