劇作家としての成功・1950年代~
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「マルセル・エイメ」の記事における「劇作家としての成功・1950年代~」の解説
1940年代まで、彼の評価は主に小説家としての名望に限られていたが、戦前から書き綴っていた戯曲が1948年にヴィユ・コロンビエ座で初演されると、2年後の1950年に発表した「Clérambard (クレランバール)」が演劇界の激賞を浴びる。(いわく、「モリエールの再来」「年間最高傑作」)さらに2年後発表された「La Tête des autres (他人の首)」がアンドレ・バルザックの演出により記録的なヒット作となったことで一躍時の人となった。 1954年には「Les quatre vérités (四つの真実)」、1955年の「Les sorcières de Salem (セイラムの魔女)」(脚色)、1956年の「Les oiseaux de lune (月の小鳥たち)」と、1960年代まで立て続けに戯曲を発表し、劇作家としての名声はあがるが、それにつれ活動に占める小説家としての比重は、晩年に向けだんだんと低下していった。 この頃日本にもそうした話題は及び、1950年代にはいくつかの「小説」「戯曲」が邦訳刊行されている。同時代のフランス語小説としては、“メグレ警視”のシムノンと並んで「最も多く英訳された作家」と言われたエイメだが、こと日本における注目は長続きしなかった。
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