小デュマとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 小デュマの意味・解説 

しょう‐デュマ〔セウ‐〕【小デュマ】

読み方:しょうでゅま

デュマ[二]


アレクサンドル・デュマ・フィス

(小デュマ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 08:29 UTC 版)

アレクサンドル・デュマ・フィス

アレクサンドル・デュマ・フィス(Alexandre Dumas fils, 1824年7月27日 - 1895年11月27日)は、フランス劇作家小説家

父(大デュマ)と区別するために「小デュマ」、またはフィス(息子)を付けて呼ばれる。ロマン主義演劇の大家であった父の影響を受けながらも、小さな世界を写実的にしっとりと描く作風が特徴である。

生涯

同名の父・アレクサンドル・デュマと縫製工の母カトリーヌ・ロール・ラベ (Catherine Laure Labay) の私生児として、現在のパリ2区にあるボイエルデュー広場 (Place Boieldieu) 1番地に生まれた。1831年に認知され、できうる最高の教育を受け、現在のパリ9区にあるリセ・コンドルセに通った。

子供と引き離された母の苦悩や、青春期に受けた周囲からの偏見は、彼のその後の作風に大きく影響している。若い頃は父親の金で遊び呆けたものの、1844年暮れ、20歳の時に7人もの大金持ちのパトロンを持つ高級娼婦(クルチザンヌマリー・デュプレシと出会い、恋に落ちた。マリーは間もなく病死するが、1848年2月、24歳の時に彼女との思い出を小説『椿姫』として書き上げて出版し、これがデュマの代表作となった。1849年、勧めに従い1週間で戯曲版を書き上げ、翌1850年に上演されて大成功を収めた。この初演以降、デュマはパリの演劇界で絶大な影響力を持ち、経済、文学両面でも大成功を収め、アカデミー・フランセーズ入り(座席番号2)も果たした。

家族

ギャラリー

参考文献

  • 佐藤賢一『象牙色の賢者』(文藝春秋、2010年)- デュマ・フィスの生涯をテーマにした歴史小説
  • アレクサンドル・デュマ・フィス『放蕩親父』(五幕喜劇)中田平・中田たか子 訳(デジタルエステイト、2023年)。電子出版

外部リンク


前任
ピエール=アントワーヌ・ルブラン
アカデミー・フランセーズ
席次2

第10代:1874年 - 1895年
後任
アンドレ・トゥーリエ




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小デュマ」の関連用語

小デュマのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小デュマのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアレクサンドル・デュマ・フィス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS