文芸評論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 06:26 UTC 版)
文芸評論(ぶんげいひょうろん、英語: literary criticism)は、文学を評論すること。文芸批評、または文学研究とも言うが、評論の対象や手法が多様なため、定義は曖昧である。小説家や作品に限らず文学とその周辺全般が扱われ、学際的な性格を持つ。研究対象の性格によっては、「文芸」または「文学」という呼称がふさわしくないこともある。
近現代の文芸評論は活字で提供されることが多いが、インターネットなど技術の発達とともに多様化してきた。学会誌に掲載される論文に限らず、週刊誌や新聞の書評欄に載るブックガイドの類も文芸評論と呼ばれる。
文芸評論の手法
評論の手法や論点は多様で、各評論家・研究者の立場・学説や研究対象によって異なる。同じ文学用語が違った定義で使われることもしばしばある。また、歴史学・言語学など、人文科学や社会科学を中心に他の学問領域と接点を持つ。
廣野由美子は(『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』中公新書2007年)でメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を題材にして批評するにしても、伝統的批評(道徳的批評と伝記的批評)、ジャンル批評(ロマン主義、ゴシック、リアリズム、サイエンス・フィクション)、読者反応批評、脱構築批評、精神分析批評(フロイト的批評、ユング的批評、神話批評、ラカン的批評)、フェミニズム批評、ジェンダー批評(ゲイ批評、レズビアン批評)、マルクス主義批評、文化批評、ポストコロニアル批評、新歴史主義、文体論的批評、透明な批評が可能であるとする。
文学史研究
文学の歴史を研究すること。表現形式の系譜や写本の変遷、文芸評論自体の歴史など、時間軸に沿った文芸活動の全般が研究対象。書かれた言語や民族、国、時代などを限定して研究することも多い。文学史の年代区分は、便宜上政治の年代区分を参考に区切られることが多いが、そのことの是非も議論の対象になる。
作品論
個々の作品を研究すること。
研究対象には異本が存在することも多いため、底本を選ぶ作業が重要になる。特に古典文学ではその傾向が強い。異本とは、写本・口述筆記する際の写し間違い、作者や他の人間による改訂など様々な理由で派生した、それぞれ微妙な違いを持った同一作品のバリエーションのことである。異本の発生や異同自体も研究対象になる。文献学、書誌学と深い関わりを持つ。
作者などの存在を排して記述された言語を中立的に捕らえるために、「作品」と呼ぶ替わりに「テクスト」という用語を使うこともある。テクストの語源はラテン語の「織る」から。
作家論
作家の伝記的研究に限らず、作家にまつわる様々な事象が対象になる。作者と読者の関係、メディアと作家の関係など。
文芸時評
新聞や雑誌で、その直前に発表された新しい作品を評価するもの。日本では大正時代にこの方式が確立し、時評での評価が作家にとって大切なものとなった。しかし、1990年代以降、時評を掲載しない新聞や雑誌も現れている。
比較文学
比較文学とは、特に言語・地域の異なる文学同士の異同や影響などを比較研究すること。
論点
文芸評論でしばしば採り上げられる代表的な論点には、次のようなものがある。
歴史
小林路易は文芸批評の歴史的変遷を、大きく分けて3つの対立に図式化している[1]。
裁断批評と印象批評
あらかじめ定められたなんらかの客観的規準によって評価を下す裁断批評(judical criticism)と、できあいの尺度を用いずに、読者個人の主観的な好悪や印象に基づいて判断する印象批評(impressionistic criticism)。裁断批評における客観的規準のもっとも伝統的なものは理想美であり、アリストテレスがその『詩学』においてギリシアの劇・詩の特性を帰納して以来、営々として磨き上げられた古典主義美学は、ボアローの『詩法』(1674)に至って完成する。また、17世紀のフランスでは、とくに悲劇について、筋・時・場所の単一を定めた「三一致の法則」をはじめ、題材、登場人物、幕数、語彙などについて、細かい取り決めと制約があった。近代に至って、新しい世界観の登場とともにこのような絶対美の概念は崩壊、文学活動の個性的分化、価値観の多様化が生じる。19世紀に科学主義・実証主義が広まると、テーヌは血統・環境・契機の三大要素をもって作家・作品を規定しようとし(環境説)、ブリュンチエールはダーウィンに倣った文芸ジャンルの進化説を、フロイトは無意識的リビドーを批評の根底に据えた。
効用批評と審美批評
アリストテレスは文学の効用をカタルシス(感情の浄化)にあるとしたが、文学になんらかの実益を期待する視点は、その後も根強く存在して批評の一角を占める。ことに政治・宗教・教育方面に携わる人たちにこの傾向が強く、彼らは自己の信条に忠実であればあるほど、文学作品に自律性よりは教化の道具をみる。例えば、毛沢東の『文芸講話』(1942)、バチカンの『禁書目録』(1564~1965)、公的権力による文学裁判・発禁、作家の国外追放などはその極端な例である。
文学者は一般に文学を文学以外のいかなる効用的規範にも従属させることを好まず、多かれ少なかれ、審美批評(utilitarian criticism)の立場に立つ。審美批評の立場は、ゴーチエの「芸術のための芸術」の言葉に代表される芸術至上主義である。一方で、より高次の効用批評(aesthetic criticism)に立つ立場があり、この立場はトルストイの「人生のための芸術」の言葉に代表される、人生至上主義ないし人道主義である。審美批評と効用批評の例として、「文学は男子一生の仕事に非ず」とした二葉亭四迷と、「人生は一行のボードレールにも若かない」とした芥川龍之介が挙げられる。
伝統的批評と新批評
近代以前の古典主義的批評が、理性と宿命を基盤とした普遍性への指向を顕著に示したのに対して、ロマン主義以降の批評は感性の優位を主張し、人間ひとりひとりの個性・特殊性を重視した。そのため、文学作品そのものよりも、その背後の作者の存在に興味がもたれるようになった。作品そのものに生命があるのではなく、作品に生命を与えているのはその作者である人間にほかならぬという発想である。サント・ブーブは「この木にしてこの果実あり」といい、作家と作品を密接不可分のものとして、作家の実生活をもって作品を解明しようとした。彼の用いた実証主義的手法は科学的批評としてテーヌ、ルナン[要曖昧さ回避]、ブランデス、ランソンらに受け継がれる一方で、審美的側面は鑑賞批評としてアーノルド、ペイター、アナトール・フランス、小林秀雄らに受け継がれた。そしてさらに前者から、後にプロレタリア文学の擁護・育成につながってゆくマルクス主義的・文芸社会学的批評、フロイト、ユングらの精神分析学的批評、クローチェらの理想主義的・歴史的批評などが生まれ、ひいては文学史研究、文芸学の誕生をも促すこととなった。また作家の内面への参入は、アラン[要曖昧さ回避]、チボーデ、バシュラール、プーレ、そして人間存在の内奥に「実存」をみたサルトルらに至る。
20世紀初頭のバレリー、プルースト、T・S・エリオットらはサント・ブーブの伝記的批評に反対して、彼とは逆に作品を作家から切り離し、文学作品は完全に自律的な全体であり、在外的ないかなる要素とも無縁であるとする立場をとった。こうした考え方が1930年代以降のアメリカにおける「新批評(ニュー・クリティシズム)」に発展し、古典主義的批評、ロマン主義的批評に続く、象徴主義的批評とでも称すべき批評史上の第三波形成の契機となった。この批評は客観的な方法によるイメージの分析とそれを概念化するための独自の批評用語の開発をその特色としたが、ヤーコブソンらプラハ学派のフォルマリズム批評、ロラン・バルトらによるフランス派構造主義批評などに取って代わられた。これらの「新批評」の特徴は、いずれも作家の意志を考慮せずに、文学作品の無意識的・潜在的言語特性や作品構造を明らかにすることにあり、多く哲学、精神分析学、文化人類学、民俗学、言語学、意味論、文体論、記号論などの諸学を援用、一般にきわめて難解で、文芸批評というよりは文芸学・詩学的色彩が濃い。
現代
現代批評はテクスト重視派を主流とするが、テクストを創作行為と読書行為の協調によってさらに上位のテクストに移行さるべき未完成のもの、ないしは再構築すべきものとする考え方(晩年のバルトとポスト構造主義)、総合的組成物とするとらえ方(クリステバの間テクスト性)、さらには読者ひとりひとりが硬化したテクストを内的に破壊することによって初めて文学が成立するとする見地(解体批評)、サント・ブーブ、ボードレール流の在来型批評、新文学宣言、さらに各種批評の総合・折衷・使い分けの主張、読者論、文学快楽説、文学空間論、文学不可知論など、様々な方法論が混在している状況である。
文芸評論家の例
日本の文芸評論家
あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行
わ行
海外の文芸評論家
ア行
カ行
サ行
- ワイリー・サイファー
- アーサー・シモンズ
- ジェラール・ジュネット
- ロバート・スコールズ
- ジョージ・スタイナー
- スーザン・ソンタグ
タ行
ハ行
- ヴィッサリオン・ベリンスキー
- ミハイル・バフチン
- ロラン・バルト
- マリオ・プラーツ
- ノースロップ・フライ
- V・S・プリチェット
- ウラジミール・プロップ
脚注
- ^ 日本国語大辞典,世界大百科事典内言及, デジタル大辞泉,世界大百科事典 第2版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版. “文芸批評(ブンゲイヒヒョウ)とは”. コトバンク. 2019年10月21日閲覧。
文芸評論
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人間の想像力の可能性から、ウィルソンはSFやファンタジーの持つ意義を高く評価する。ジャン=ジャック・ルソーの『新エロイーズ』やリチャードソンの『パミラ』によって、ヨーロッパでは想像力の飛躍的な拡大が始まったと主張している。ラヴクラフトやデイヴィッド・リンゼイなどを再評価している。 また、ウィルソンはシェイクスピア嫌いを表明していて、評論ではことごとく批判している。イギリスの劇作家バーナード・ショーを、シェリーやワーグナーにひけを取らぬロマン主義者であり、ゲーテ以来の如何なるヨーロッパ作家よりも高度の客観性を備えていた、と高く評価し、関連論文も出版した(但し、ショーはシェイクスピアへのドグマ的な評価を批判しているが、シェイクスピア嫌いではない)。
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文芸評論
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「アナトール・フランス」の記事における「文芸評論」の解説
La Vie littérature, 1888年-92年、※文芸評論集で、原書は全4冊。各・抄訳版 『文学生活』朝倉季雄・権守操一訳、白水社、1937 Le Génie Latin, 1913年 『フランスの天才達-ラテン精神 (正・続)』堀口大學訳、第一書房、1943-44
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文芸評論
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ポスト構造主義はそれまでの理想的な読者のモデルを否定する。優れた読者であれば、あらゆる社会的な拘束から自由であり、純粋に客観的な視点で作者の意図を汲み取ることができるとされてきた。しかし記号学によると文学的テキストであっても、それはシニフィアンの集合に過ぎず、作者は表現したいことの意味を主張することができない。作者の意図は作者自身でさえ決定不可能であって、文学テキストに唯一の目的、唯一の意味、または唯一の存在があるという考えは拒絶される。バルトは、どんなテキストにも複数の意味があり、作者は作品の意味を決定する起源でなく、たまたま物を書いている人間以上ではあり得ないとした。代わりにすべての読者が特定のテキストのために新しい個々の目的、意味、および存在を創造する。 作品の想像上の意味や概念はシニフィアンを繰り返し述べることにより差延によってしか表現できない。ポスト構造主義時代の文芸評論(批評)では、いわゆる行間を読んではならず、書かれたものだけからテクストを見なければならない。よりテキストの理解が深まるだろうとして作者の生い立ちや雑文、あとがき、日記など、テクスト以外のものを読んではならない。バルトは「作者の死」を主張した。その代償によりテクストの意味の起源として「読者の誕生」が起こる。しかしこの「読者」は独立した個々の私個人を指すものではなく、批評で読者の主観を主張しあえと言っているのでは決してない。評論には読者がテクストから得た視点、姿勢、心情などを含めてはならない。現代的な作品の批評では、形而上学的記述と二項対立を廃し、テクストそれ自身の良い悪いという評価をしてはならない。
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文芸・評論
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「東京工業大学の人物一覧」の記事における「文芸・評論」の解説
伊藤整(教)元教授(英語)、文芸評論家、小説家、元日本芸術院会員、元日本近代文学館理事長。東京商科大学(現一橋大学)中退。 近藤芳美(1938卒)歌人。建築学科卒。文化功労者。 葛原繁(卒)歌人。元日新運輸倉庫取締役。読売文学賞。 美坂哲男(卒)温泉評論家。 星野芳郎(1944卒)技術評論家、立命館大学経元教授、内閣技術院元参技官補。電気化学科卒。 吉本隆明(1947卒51特)思想家、文芸評論家、詩人。電気化学科卒。 北川太一(卒)文芸評論家。高村光太郎記念会事務局長。 奥野健男(1947専53卒)文芸評論家、多摩美術大学名誉教授。化学専攻卒。紫綬褒章、芸術選奨文部大臣賞。 柴野拓美(1950卒)SF翻訳家、SF作家。星雲賞特別部門、日本SF大賞特別賞。 江藤淳(教)元教授(文学)、文芸評論家。慶應義塾大学卒 (1957)。 かこさとし(1962論)絵本作家、児童文学者。菊池寛賞。 吉田和明(博)文芸評論家。大学院社会工学卒。 横山信義(卒)小説家、架空戦記作家。 後藤秀機(1968修)サイエンスライター。帝京平成大学教授。日本エッセイストクラブ賞。 鴻英良(卒)演劇批評家。 宮内久男(卒)元岩波書店編集者。産経児童出版文化賞大賞。 角田光男(1972卒)ジャーナリスト。元共同通信社記者。 高原英理(博)文芸評論家、小説家。群像新人文学賞。大学院社会工学卒。 横田一(卒)ジャーナリスト、ノンフィクション作家。ノンフィクション朝日ジャーナル大賞。 稲葉なおと(1983卒)紀行作家、写真家。建築学科卒。 平田真夫(1983修)SF作家。 嶋中潤(修)小説家、日本宇宙フォーラム主任研究員。日本ミステリー文学大賞新人賞。 齋藤海仁(修)フリーライター、釣りジャーナリスト。 池田雄一(除籍)文芸評論家。東北芸術工科大学准教授。 中村幸司(1988卒)NHK解説委員。 兵頭二十八(1990修)軍事評論家、元自衛官。大学院社会工学卒。 佐藤健太郎(修)フリーライター、元東京大学特任助教。科学ジャーナリスト賞、化学コミュニケーション賞。 木本雅彦(1995卒1997修2004博)小説家、ソフトウェアエンジニア。エンターブレインえんため大賞小説部門佳作。情報科学科卒。 中村みしん(卒)推理作家。ミステリーズ!新人賞佳作。 綾見洋介(修)小説家。『このミステリーがすごい!』大賞隠し玉。 浜崎洋介(2010博)文芸批評家。 石田夏穂(卒)小説家。すばる文学賞佳作。 藤田直哉 (2014博)文芸評論家。大学院社会工学卒。 南原詠(修)ミステリー作家。『このミステリーがすごい!』大賞。
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